コメントを頂きましたので(2)

コメントを頂きましたので✨

(ここからは完全な私信です。)

 

お久しぶりでしたね✨

コメント頂けて喜んでいます。

 

お元気そうで何よりでした。

私はあまり変わりなく過ごしています。

ま、この年齢ですから、そんなに変化があっても困りますが…。

変わったことと言えば、カメラを本格的に始めたことでしょうか。

そちらで、フォトジェニックな場所などがあれば、ぜひ色々教えてください✨

 

学校に行かれていたのですね。

色々な学びの機会があったことでしょう。

これから少し落ち着いてくるのでしょうか?

このブログでは旅行記みたいで大したことは

書いていませんが、またコメントを頂けると嬉しいです。

 

小田原城(日本百名城 第23番)

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久しぶりの百名城シリーズです。

この間にちょこちょこあちこち行っていて、ネタが少し溜まって来たので、

なるべく頑張って書いていきます。(記録の意味合いもありますけどね。)

実際には、9月18日に行ってきました。少し残暑が残っていたかな?

 

小田原城 平山城 後北条氏の頃の小田原城は、現在の小田原市街地を全て

包含するほどの惣構を誇りましたが、江戸時代に規模が縮小され、

大久保氏(途中改易)→稲葉氏→大久保氏(復帰)と変遷し、小田原藩11万3千石

となりました。また、箱根に通ずる東海道の重要な地として、後世大久保氏からは

老中を多数輩出しています。

 

行きは新宿からロマンスカーで。最新型のようです。

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小田原までノンストップで70分でした。

 

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小田原駅から徒歩10分くらいで見えてきます。(道に迷いました。)

隅櫓と馬出門です。その奥側が馬屋曲輪になります。

 

 

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そこを抜けると、銅(あかがね)門が見えてきます。

その名の通り、銅張りがされている門です。

 

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本丸に続く常盤木門。重厚な造りになっています。

現在は内部が別の史料館として開放されています。

 

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本丸とその石垣です。しっかりとしたハギで構成されています。

 

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天守閣から。伊豆半島が間近に見られます。

 

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天守閣の瓦は、三つ葉葵紋だったそうですが、なぜだろう。。。

答えは、天守閣(本丸)は、将軍上洛等の時の宿泊所としての機能が主で、

小田原藩主は二の丸御殿を生活の場としていたようです。

 

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戦国期の城主北条氏の北条鱗と江戸期の城主大久保氏の大久保藤紋。

 

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こちらは二の丸。広々としています。

 

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小田原駅に向かって帰るときに少し足を伸ばすと、北条氏政・氏照兄弟のお墓が

あります。

この場所で、小田原攻めで降伏した際に切腹したと伝えられています。

 

お時間があればぜひ。

 

 

 

 

嫌いな言葉

半月ぶりくらいの投稿になっちゃいました。

でもって、こんなシニカルな内容ですが、どうかご容赦ください。

自分が感じたままのことですので…。

 

今日は、最近よく耳にするけど、違和感が強かったり、もっと言えば嫌いな

言葉です。代表的なものを2つほど。

 

(1)「神〇〇」というもの

    神対応とかいいますけど…。

    それってなんですか??

    神様に対応してもらったことあるんだろうか?

    人間の対応だから、「優しい」とか「素敵な」とか形容詞で

    いいんじゃないのかなぁ。

 

(2)「絆」(きずな)

    厳密にいうと、絆と言う言葉は好きです。

    でも、なんだか安売りされている気がします。

    そんなに簡単に絆という言葉がつかえるシチュエーションって

    ない気がするのですよねぇ。

    特に商業的には皆無のはず。です。

 

(3)「エモる」

    意味が分からん。というか、なんでも略せばいいってものもないでしょ。

    感動的な場面に遭遇したら、自分の言葉で表現することを考えないと、

    脳みそ退化しますよ。

 

 

今日はこんなところかな。

 

秋の花々

少々趣向を変えて、あちらこちらで撮影した、秋の花々など。

 

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紅白の彼岸花

少し暗めに撮影して、マットな感じにしました。

 

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白い方にピントを当ててみました。

 

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コスモス各色。

 

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花壇のお花。

 

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グラデーションの見事なモミジ

 

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雨の日が続きました。

 

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☆型の朝顔発見。

 

「新九郎奔る!」

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今日はマンガ「新九郎奔る!」のお話です。

パトレイバーなどでおなじみのゆうきまさみ氏の最新作です。

帯にもある通り、戦国大名の嚆矢としても有名な、北条早雲の物語です。

まだ第1巻で少年時代、伊勢新九郎の時代(元服後、盛時と名乗る)かつ

応仁の乱前夜頃を描いていますので、人間関係を含めてややこしいこと

この上ない。。という状況です。(ま、正直いえば、生涯ずっと

境遇的にはややこしいのですが…。)

 

かつては、下克上の一代記として語られる物語でしたが、近年の研究で、

以下の事がわかってきています。

 

・元々は、室町幕府政所執事(今なら官房長官財務大臣クラス)を世襲する、

 伊勢氏の当時の嫡流伊勢貞親の妹婿の次男であった。

・家柄的には、当時の上流階級に属し、幼いころから将軍近侍することも

 でき、申次衆・奉公衆と幕府役職を歴任した。

・有名な話として、今川氏の家督争いを調停し、自分の姉(または妹)の子

 を家督に据えた(後の今川氏親今川義元の父)功績で駿河に所領を与えられた

 ことが飛躍の足掛かりになった。とされているが、

 これは、幕府の意向もあり、また、申次衆の権力を背景とし調停したもの

 と解釈されている。(所領が与えられたのは事実)

・伊豆で独立勢力として旗揚げした時は、奉公衆(将軍直属の軍事部隊)として

 堀越公方殲滅の軍事行動中であったらしい。

・生涯を通じて、「北条」の苗字を名乗った公式な記録は見当たらない。

 (北条姓が見られ始めるのは、子の氏綱以降)

 

とま。昔に比べると格段に研究が進んできてはいますが、

まだまだ謎の多い、背景を読み解くのが厄介な時代ではあります。

 

 

白河小峰城(日本百名城第13番)

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さて、四国・九州旅行から帰還後、夜勤を挟み、1日休みができたので、

9月3日にぷらっと近所の城巡りに行ってみたくなったので、

急遽、白河小峰城に行ってきました。

 

白河小峰城 平山城

白河の地は、結城氏の支配に置かれた後、秀吉の奥州仕置により、蒲生・上杉と渡り、

江戸時代になって、丹羽長重が城郭の基本形が完成しました。

その後、榊原→本多(忠勝系)→奥平松平→越前松平→久松松平→阿部

と藩主家が転々と変わっていきますが、10万石から15万石程度の石高を誇り、

親藩・譜代の重鎮が封ぜられる、東北の玄関口たる要衝といえる場所でしょう。

当地からは、松平定信阿部正外の2人の老中を輩出しています。

また、戊辰戦争時の「白河口の戦い」で激戦地ともなったところで。

 

お城は東北本線白河駅のすぐそば。

駅から向かう地下道に城の石垣の組み方の図解があります。

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 実際の石垣はこんな感じです。

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確かにはっきりとした湾曲が見られます。

意外と珍しいタイプかもしれません。

 

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桜御門跡です。こちらの入り口は本丸御殿を経由して櫓に入っていきます。

 

 

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こちらは天守閣ではなく、御三階櫓となります。武家諸法度の兼ね合いで、

天守の代用となります。

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戊辰戦争時に打ち込まれた鉄砲玉の跡が至る所にあります。

 

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石落としから

 

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狭間からです(マニア)

 

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本来の正門、前御門です。

 

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本丸御殿跡ですが、あまり大きくはありません。

 

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お城全体の石垣の雰囲気。

東北の玄関口の要衝にふさわしい偉容です。

 

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3.11の東日本大震災の時に崩れた石垣がまだ復旧中でした。

 

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内堀と紅葉が始まったモミジも。

 

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白河の街中には、戊辰戦争時の犠牲者の方々の慰霊碑・供養塔などが、

東西両軍問わず、いたるところにあります。

 

 

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家紋瓦は「星梅鉢」(久松松平氏)でした。

 

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三方領地替えの対象となった3市が友好都市となっているようです。

 

四国のおまけ

さて、四国に行ったついでに、こんなところも行ってきました。

 

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そう。ドラマ「東京ラブストーリー」のロケ地です。

最終回にカンチの故郷(愛媛と言う設定)までリカがやって来て、

「バイバイ、カンチ」って書いたハンカチを括り付ける。。。。のがこの駅。

放送当時、高校生でした。

当時付き合ってた女の子と、毎週「今週、見た?」なんて、

電話(家電・いえでん、かでんじゃないよ!)で話してましたっけ。

携帯なんてない時代。電話するのもすごく勇気がいりました。

 

場所はいよてつ郊外線の高浜線梅津寺駅です。

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駅の周囲は…。

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海です。おしまい。

って感じの駅でした。

 

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駅構内信号機が二灯式なのが懐かしい。。。

 

ドラマの方は、2年くらい前に全編見直してみましたが、、

私も、年齢を重ねたのだなぁ。。ってのが率直な感想でした。

今、昼間に再放送やってるみたいですね。

 

福岡城(日本百名城第85番)

 

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福岡城 平山城 天守閣は残っていません。(写真は天守台へ向かう鉄門跡です)

城主は黒田氏(筑前福岡藩52万石)で幕末を迎えます。

関ヶ原ののち、豊後中津から加増され、福岡城の整備がはじめられます。

最寄り駅は、福岡市営地下鉄空港線赤坂駅または大濠公園駅です。

(距離的にはどちらからでも同じ)

 

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大濠公園駅から歩くと、(伝)潮見櫓が見えてきます。

 

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潮見櫓下にある下の橋御門です。ここから入って行きますが……。

まだ、ここは三の丸曲輪の入り口だということを…。後で知ります。。

 

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歩いているとこのような土塁のようなものが…。あれ……。

 

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しばらくすると、名島門が見えてきます。

 

そして、この先が福岡城本丸部分となっていきます。

道路を渡ると、舞鶴公園として整備されている一帯の一部です。

 

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やっと入り口。。

 

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石垣。すでに立派です。

 

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しばらく歩くと、祈念櫓があります。珍しい、桧皮葺の櫓です。

どうやらこの方向は天守から見て鬼門にあたるため、鬼門封じの意味をもつ櫓の

ようです。

 

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天守台の下、埋門跡です。中の石垣もきれいに積まれています。

 

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天守台から。若干雲行きが怪しい。

 

 

 

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天守台の石垣です。官兵衛流のあまり反り返りのない石垣が特徴です。

名古屋城などと見比べるとわかります。)

 

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天守台を北方向から逆に向かうと、石畳の道が。

どうやらこちら側からが正規ルート(表のルート)のようです。

 

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下りていく途中に多聞櫓がありました。

 

この後、大手門方向に向かいますが、道に迷います。。

 

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裏側は草ボーボーの石垣。結構好きです。

 

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先ほどの祈念櫓を裏から見た感じです。

 

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やっと大手門に。大きい石垣と立派な石畳です。

 

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振り返るとこんな雰囲気。やはり雲が怪しい。。。

 

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鴻臚館の跡もありました。

 

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お堀にはハスがいっぱい。ハスの花も咲いています。

 

 

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家紋瓦は大河ドラマでもおなじみとなった、「左藤巴」(黒田氏)です。

 

これで、今回の四国・九州旅行の登城は終了です(計10城)

 

このあと、地下鉄に乗って福岡空港から東京へ帰ります。

福岡空港は地下鉄直結だから、本当に楽です…。

 

 

 

 

小倉城(続日本100名城第181番)

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8月30日、中津城を後にして、小倉城へ。

中津から特急で30分前後、小倉駅から徒歩20分くらいで到着します。

おおよそ15年ぶりくらいの登城です。

中津ー小倉間の特急はかなりの確率で混んでいます。自由席だと座れない可能性が

ありますので、注意してください。(私はギリギリ座れました。) 

 

小倉城

平城 豊臣期の毛利(森)勝信・勝永親子から関ヶ原後、細川忠興が改修し、

細川忠利の代で肥後熊本に移ったのち、小笠原氏(小倉藩15万石)として入封

以後幕末まで続きます。第二次長州征伐時にちょっと舞台になる城です。

小笠原氏は元々信濃源氏の名門で、甲斐武田氏等と抗争を繰り広げ、没落し…

でしたが、なんだかんだで巡り巡って…。

でも、大名として幕末まで生き永らえたのはすごいと思います。

今では、小笠原流礼法にその名を残しています。

 

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今回は虎ノ門跡から入ります。

毎度おなじみのクランク(好物)が見られます。

 

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虎ノ門跡の石垣

 

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またまたクランクです。この先を曲がると…。

 

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松ぼっくりが落ちていたので、その目線で見てみました。

 

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お堀もあります。

 

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天守閣に到着です。破風は後世のものですが、立派なので撮影。

と思ったら、松の木が少しジャマかな。。

天守閣は来年の3月いっぱいまで、工事中で入ることはできません。

 

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大手門とその石垣、やはり壮大です。

 

100名城スタンプは、付設している小倉城庭園にありますので、そちらも訪問します。

 

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小倉城庭園からの眺めです。遠くから見るのもまたいいものです。

 

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清々しい心地がします。

 

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紅葉が少し始まってきました。

 

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お城の隣には八坂神社がありました。「豊前総鎮守」とあります。

 

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立派な門構えです。

 

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掲題の中に櫓のようなものがありましたが、もともと城郭だったのでしょうか?

後から調べてみると、北の丸の一角のようなので、そうだったのかもしれません。

 

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神社側のお堀端から天守を望みます。

 

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今回の家紋瓦は「三階菱(小笠原氏)」でした。

 

おまけで八坂神社の神紋「祇園守」もありました。

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この後は、今回の旅で最後となる、福岡城へ向かいます。

 

 

 

 

 

中津城(続日本100名城第191番)

※以前書いた記事に今回訪問のものを補完し、前の記事は削除しました。

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 8月30日、旅行最終日は九州3城を回ります。まずは、別府から中津城

別府から特急で45分前後、中津駅から徒歩15分くらいで到着します。

おおよそ4年ぶりくらいの登城です。

 

中津城

平城・日本三大水城の一つ(今回、高松・今治・中津の三大水城を一気に制覇)

築城着手は黒田孝高(官兵衛)関ヶ原後に細川忠興に引き継がれ、

小笠原氏を経て、主な藩主家として奥平氏(中津藩10万石)となります。

中津は譜代としては中規模の藩ですが、前野良沢福沢諭吉(大坂生まれですが。。)

を輩出しています。

 

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石垣たち。色味が違うところと、この写真で「/」に線が入ったところが、

細川・黒田時代の境目です。(上の写真では、左が細川・右が黒田時代のものです)

 

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門の跡の石垣。蓮が茂っています。

 

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場内から見た内堀

 

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外堀となる川。向こう側は海です。

内堀には海水が引かれていますが、魚はいないようです。

 

 

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天守台の石垣です。きめ細やかに積まれてます。

 

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お堀の突き当たりにある黒田官兵衛・光の像。新しくできたようです。

 

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お城の大手門付近の桝形です。クランク具合がいいですね。

 

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大手門跡付近の石垣です。頑丈に作られています。

 

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中津城内には、神社が3柱ありました。

中津神社(1枚目)と城井神社(2枚目)、扇城神社(3枚目)です。

城井神社は、大河ドラマのエピソードにもありましたが、中津城で謀殺された、

城井(宇都宮)鎮房を、扇城神社は、その際討死した城井家家臣45柱を

お祀りしてあります。

  

前回行った合元寺とあわせて。

 

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赤壁」と書かれているように、赤い壁が特徴的なお寺です。

城井(宇都宮)鎮房を謀殺した時に、家臣団の詰所だった合元寺も同じく

殺戮の現場となりましたが、その後、その時の返り血をいくら塗りなおしても

消えないので、壁ごと赤く塗ってしまった。という言い伝えがあります。

 

そういう時代だっとは言え…。

なんともやるせないですね。

 

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今回の家紋瓦は「軍配団扇」(奥平家)です。

 

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スタンプはこちら。

長篠合戦の際の鳥居強右衛門がなんとも。。。

奥平家は長篠合戦から家運が開けた。として、大切にしています。

 

次は、小倉城に行きます。

別府温泉

8月29日は、別府に渡り、別府温泉に行ってきました。

公衆浴場は街中いたるところにありますが、今回は前回も行った、

「竹瓦温泉」にいくことにします。

 

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こちらは、駅前の通りにある、駅前高等温泉。高等温泉って、なんですかね??

 

 

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駅前通りを突き当たると、国道10号線に。東九州の大動脈です。

ほほう。このへんは門司から127kmか…。

実は、この時点で道に迷ってました。。。

 

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やっと入り口が見つかった💦

前はここからは来なかったな。。

 

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昭和の風情が漂ってますね。

別府は温泉もあり、観光客目当ての歓楽街でもあり…。なので

裏通りに入るとこういう雰囲気なところが増えてきます。

男のパラダイス!!!!もありますよ(自主規制)

 

さて、到着です。

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どこかで見たことありませんか?

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そう、両方とも「千と千尋の神隠し」の油屋のモデルになっています。

唐破風(軒唐破風)が特徴的な建物です。

 

この竹瓦温泉。入浴するだけならなんと、100円です。(タオル等は別途)

その代わり、体を洗う水道設備はないので、本当に湯に入るだけになります。

 

別府温泉は、別名「浴びる化粧水」というくらいなので、

お肌ツルツルになります。道後温泉と比べると、柔らかな湯あたりです。

道後の方は、滋養強壮にいい!という感じもしますね。

 

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帰りに入り口の脇の小さな祠を見つけました。

お湯の神様をお祀りしているのかなぁ。

 

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別府駅前には、「手湯」もありました。

 

 

船旅(八幡浜→別府)

今回の九州上陸は、船を選びました。

高校の修学旅行の時に、逆ルートで四国に上陸したので、久々にそのルートを

辿ってみることにしました。30年くらい前の事ですが…。

 

四国の玄関口、八幡浜港

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なんっっっの記憶もない…。

ここで船を降りたはずなんだけどなぁ。。

 

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八幡浜駅の「のりかえ 別府連絡」の文字には見覚えがある。。

九州方面への玄関口として機能しているんですね。

 

久々に大きな船に乗るので、テンションが上がりました。

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と思ったら、これは先発の臼杵行きの船でした。

 

別府行きはこちら。

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二等船室はこんな感じ。6畳くらいのカーペット敷きのスペースです。

お客さんが少なかったので、1人占めしてました。運賃は3,100円です。

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別府まで3時間弱。。。

そのうち、1時間半くらい寝てました。

 

ひょっこり起きだして、海を撮影。

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海は青く穏やかでキレイでした。

 

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対岸に九州が見えてきました。まもなく到着です。

 

 

四国鉄道あれこれ

さて、九州に渡る前に、四国の鉄道あれこれをご紹介しておきましょう。

あれこれ。といいつつ、あまり撮影する元気がなく…。ではありました。

 

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高松駅の駅舎。全体的に笑顔です。

 

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いしづち(松山行き)

 

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快速サンポート南風リレー号

これに乗って、丸亀まで移動しました。お手洗いは、ありません!

 

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松山市駅で、元京王井の頭線3000系後期型。

東京で仕事していた身としては、とても懐かしい。

ちなみに、いよてつは市内線(路面電車)は

一律160円(乗ってから降りるまで。乗り換えの時は乗換券をもらいましょう。)

ですが、郊外線(普通の電車)は結構高いです。

 

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松山駅での特急宇和海。これで伊予大洲駅まで行きました。

四国内は、高松ー松山間(あとは多度津ー琴平間)は電車。

そこから先はディーゼル気動車)です。

ちなみに、日本国内で、路面電車も含めて電車が走ったことがないただ1つの県。

それは徳島県だそうです。

 

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伊予大洲駅の行き違いで見かけました。なんだろ、これ?

 

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伊予大洲から八幡浜までの普通列車でした。

 

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八幡浜駅。なんだか昭和な雰囲気ですね。

この先、鉄道は宇和島まで行っています。(現在復旧作業中です)

 

ちなみに、四国ではメジャーな交通系ICカードはほとんど使えません。

松山駅ですらNG)

いよてつで使えるのとか、とさでんで使えるのとか、ローカルな交通系ICカード

は独自にあります。

小銭の持ち歩きは必須です。

 

 

 

大洲城(日本百名城第82番)

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大洲城 平山城藤堂高虎によって近代城郭に整備された。

    藩主家は加藤氏(光泰系・大洲藩6万石)

 

8月29日は、松山のホテルを引き払い、まずは大洲城へ出発します。

松山から最寄り駅伊予大洲駅までは、特急で30分くらいです。

ただ、伊予大洲駅にコインロッカー等の設備がありません。

大きな荷物があるときは注意してください。

駅から徒歩30分くらいかかります。徒歩以外では今はタクシーだけのようです。

今回はすでに真夏日でしたので、行き帰りともタクシーを利用しました。

 

天守と台所櫓

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こちらは天守と高欄櫓、石落としがあります。

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石落としを下から見上げてみます。

 

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石垣は比較的小さな石を積み上げているようです。

また、上部へ向けての湾曲もわかります。

 

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華頭窓から外を眺めます。

 

 

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外には天然の堀として、肱川が流れています。

この川が先日の西日本豪雨で氾濫しました。

タクシーの運転手さんが、「自分の家は床上1m20cmまで水が来ちゃいました~」

って笑って話をしてましたが、笑いごとじゃぁないです。。。

 

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ちょうど開いてました。

 

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江戸期の想定城郭の模型だそうです。結構大きな縄張りです。

 

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石垣と青空。いい天気でした。

 

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天守全景をとらえてみました。

 

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石垣に草花が。意外と好きな光景です。

 

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帰り際の「桝形」バス停(とはいえバスはたまにしか来ない。。。)

桝形。という地名なので、案の定クランクでした。

 

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家紋瓦は「蛇の目」紋でした。

 

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スタンプはこんな感じ。

 

この後、フェリーで海を渡って九州上陸です。

路面電車あれこれ

今回はちょっと趣向を変えて。

四国では、松山と高知に路面電車が残っています。

東京では都電でほんの少ししか残らなくなった、路面電車を少しご紹介します。

 

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松山市内のいよてつ市内線。

新旧様々なタイプがあります。3枚目のツートンカラーは昔ながらの塗色です。

 

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こちらは高知の路面電車。新旧様々なのが走っています。

 

松山と高知だと高知の方がより路面電車っぽい雰囲気です。

停留所間が短いからかな??

 

旧型の車両はこんな感じの車内

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木の床! 油がひいてあるので、独特のにおいがします。

 

こちらは、大手町駅(停留所)近所の踏切です。

よく見ると…。

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おわかりになりましたでしょうか?

ここは、電車(路面電車)が電車(普通の電車)を待っている踏切です。

ダイヤモンドクロスという日本でも珍しい踏切です。

 

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大手町停留所…。

幅がこれだけでした。結構スリリング。。。