小田原城(日本百名城 第23番)
久しぶりの百名城シリーズです。
この間にちょこちょこあちこち行っていて、ネタが少し溜まって来たので、
なるべく頑張って書いていきます。(記録の意味合いもありますけどね。)
実際には、9月18日に行ってきました。少し残暑が残っていたかな?
小田原城 平山城 後北条氏の頃の小田原城は、現在の小田原市街地を全て
包含するほどの惣構を誇りましたが、江戸時代に規模が縮小され、
大久保氏(途中改易)→稲葉氏→大久保氏(復帰)と変遷し、小田原藩11万3千石
となりました。また、箱根に通ずる東海道の重要な地として、後世大久保氏からは
老中を多数輩出しています。
行きは新宿からロマンスカーで。最新型のようです。
小田原までノンストップで70分でした。
小田原駅から徒歩10分くらいで見えてきます。(道に迷いました。)
隅櫓と馬出門です。その奥側が馬屋曲輪になります。
そこを抜けると、銅(あかがね)門が見えてきます。
その名の通り、銅張りがされている門です。
本丸に続く常盤木門。重厚な造りになっています。
現在は内部が別の史料館として開放されています。
本丸とその石垣です。しっかりとしたハギで構成されています。
答えは、天守閣(本丸)は、将軍上洛等の時の宿泊所としての機能が主で、
小田原藩主は二の丸御殿を生活の場としていたようです。
戦国期の城主北条氏の北条鱗と江戸期の城主大久保氏の大久保藤紋。
こちらは二の丸。広々としています。
小田原駅に向かって帰るときに少し足を伸ばすと、北条氏政・氏照兄弟のお墓が
あります。
この場所で、小田原攻めで降伏した際に切腹したと伝えられています。
お時間があればぜひ。