白河小峰城(日本百名城第13番)
さて、四国・九州旅行から帰還後、夜勤を挟み、1日休みができたので、
9月3日にぷらっと近所の城巡りに行ってみたくなったので、
急遽、白河小峰城に行ってきました。
白河の地は、結城氏の支配に置かれた後、秀吉の奥州仕置により、蒲生・上杉と渡り、
江戸時代になって、丹羽長重が城郭の基本形が完成しました。
その後、榊原→本多(忠勝系)→奥平松平→越前松平→久松松平→阿部
と藩主家が転々と変わっていきますが、10万石から15万石程度の石高を誇り、
親藩・譜代の重鎮が封ぜられる、東北の玄関口たる要衝といえる場所でしょう。
当地からは、松平定信、阿部正外の2人の老中を輩出しています。
また、戊辰戦争時の「白河口の戦い」で激戦地ともなったところで。
駅から向かう地下道に城の石垣の組み方の図解があります。
実際の石垣はこんな感じです。
確かにはっきりとした湾曲が見られます。
意外と珍しいタイプかもしれません。
桜御門跡です。こちらの入り口は本丸御殿を経由して櫓に入っていきます。
こちらは天守閣ではなく、御三階櫓となります。武家諸法度の兼ね合いで、
天守の代用となります。
戊辰戦争時に打ち込まれた鉄砲玉の跡が至る所にあります。
石落としから
狭間からです(マニア)
本来の正門、前御門です。
本丸御殿跡ですが、あまり大きくはありません。
お城全体の石垣の雰囲気。
東北の玄関口の要衝にふさわしい偉容です。
3.11の東日本大震災の時に崩れた石垣がまだ復旧中でした。
内堀と紅葉が始まったモミジも。
白河の街中には、戊辰戦争時の犠牲者の方々の慰霊碑・供養塔などが、
東西両軍問わず、いたるところにあります。
家紋瓦は「星梅鉢」(久松松平氏)でした。
三方領地替えの対象となった3市が友好都市となっているようです。