中津城(続日本100名城第191番)

※以前書いた記事に今回訪問のものを補完し、前の記事は削除しました。

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 8月30日、旅行最終日は九州3城を回ります。まずは、別府から中津城

別府から特急で45分前後、中津駅から徒歩15分くらいで到着します。

おおよそ4年ぶりくらいの登城です。

 

中津城

平城・日本三大水城の一つ(今回、高松・今治・中津の三大水城を一気に制覇)

築城着手は黒田孝高(官兵衛)関ヶ原後に細川忠興に引き継がれ、

小笠原氏を経て、主な藩主家として奥平氏(中津藩10万石)となります。

中津は譜代としては中規模の藩ですが、前野良沢福沢諭吉(大坂生まれですが。。)

を輩出しています。

 

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石垣たち。色味が違うところと、この写真で「/」に線が入ったところが、

細川・黒田時代の境目です。(上の写真では、左が細川・右が黒田時代のものです)

 

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門の跡の石垣。蓮が茂っています。

 

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場内から見た内堀

 

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外堀となる川。向こう側は海です。

内堀には海水が引かれていますが、魚はいないようです。

 

 

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天守台の石垣です。きめ細やかに積まれてます。

 

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お堀の突き当たりにある黒田官兵衛・光の像。新しくできたようです。

 

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お城の大手門付近の桝形です。クランク具合がいいですね。

 

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大手門跡付近の石垣です。頑丈に作られています。

 

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中津城内には、神社が3柱ありました。

中津神社(1枚目)と城井神社(2枚目)、扇城神社(3枚目)です。

城井神社は、大河ドラマのエピソードにもありましたが、中津城で謀殺された、

城井(宇都宮)鎮房を、扇城神社は、その際討死した城井家家臣45柱を

お祀りしてあります。

  

前回行った合元寺とあわせて。

 

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赤壁」と書かれているように、赤い壁が特徴的なお寺です。

城井(宇都宮)鎮房を謀殺した時に、家臣団の詰所だった合元寺も同じく

殺戮の現場となりましたが、その後、その時の返り血をいくら塗りなおしても

消えないので、壁ごと赤く塗ってしまった。という言い伝えがあります。

 

そういう時代だっとは言え…。

なんともやるせないですね。

 

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今回の家紋瓦は「軍配団扇」(奥平家)です。

 

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スタンプはこちら。

長篠合戦の際の鳥居強右衛門がなんとも。。。

奥平家は長篠合戦から家運が開けた。として、大切にしています。

 

次は、小倉城に行きます。