禁煙することにしました
ふと、思い立って。。
5月1日から禁煙することにしました。
ちゃんと禁煙外来に行って、チャンピクスを処方してもらっています。
これは、最初の7日間は薬を飲みながら喫煙してもOKで(慣らし運転みたいな?)
8日目以降、完全に禁煙して薬を飲み続けていきます。
ま、私は…。12日間禁煙できませんでしたが。。
今日(5/15)現在で、禁煙外来のスケジュール的に2回の受診が終了し、
禁煙スケジュールは15日目に入っています。
(全体では12週間です)
1回目と2回目での呼気中の一酸化炭素濃度は
ま、単純なんですけど、看護師さんに(しかも若くてかわいい♪)
応援されたり、ほめられたりすると。。。
がんばろっかな♪♪
単純な生き物ですねぇ。。
ニコチン切れの一番つらいタイミングは禁煙後1週間から2週間くらいだそう
なので、これからが正念場えすね。
ま、禁煙のラストチャンスと思って、がんばってみます。
熊本城(日本百名城第92番)
復興途上の熊本城…。
当日は雨で見にくい中でした。
復旧に向けて工事中です。
加藤清正像がお出迎え。地元では「せいしょこさん(清正公さん)」と
親しみを込めて呼ばれています。
堀です。これは強引に川の流れを変えて、内堀にしたようです。
外堀に該当するのは、白川となります。
見学は石垣、建物の崩落等がありますので、遠巻きに見ていくルートになります。
こちらは未申櫓ですが、比較的ダメージは少なそうです。
こちらは構造物ごと崩れ落ちています。
大小天守と宇土櫓ですが、宇土櫓は比較的残っていますが、
小天守はかなり大きな被害を受けていることがわかります。
石垣復旧のために、崩落した石を置いておいてあります。
石に番号が付番してありますが、これは、以前の写真を見ながら、
どこの(Hなら本丸)上から何番目、右から何番目が記してあります。
その後、それをジグソーパズルのようにして積んでいく予定です。
中空状態になっています。
外郭の北十八間櫓は大きな被害を受けていました。
道路を挟んで向かい側の熊本市役所の展望フロアが無償開放されていて、
全体の工事の様子がわかります。
熊本駅に大量のくまもんが。。。
知覧城(続日本100名城第198番)
12月15日は、島原を後にしたのち…。
高速フェリーで熊本へ(30分で熊本港まで行けます。)その後九州新幹線で
鹿児島中央駅へ行き、そこからバスで1時間30分ほどの場所にある知覧城へと
向かいました。
知覧城:中世山城、1615年に廃城となるが、知覧は島津氏分家の佐多氏が幕末まで
知覧領主として納めた地でした。
さて、バスを降りて歩いていると…。
おや、工事中?
お茶むらい。。知覧は鹿児島では茶どころで有名です。
看板を発見。
崖が見えます。高いところに郭があったのでしょうね。
苔むした道を進んでいきます。が…。
あれ、この先通行止。。
工事中の看板はこのことだったのか…。
後でよくよく見ると、台風の時に法面が崩れてしまっているそうです。
ミュージアム知覧(スタンプ設置場所)に特別に置いてあった(直前に団体客が来たそうです)模型でお楽しみください。
知覧の武家屋敷にも足を伸ばしてみました。
この日は鹿児島に戻り、1泊します。
島原城(日本百名城第91番)
島原城:平城 島原の乱を誘因した、松倉重政・勝家の時代が有名ですが、
その後はめまぐるしく藩主家が変わっていきましたが、
深溝松平氏の治世が比較的長く続いていきました。
写真を見返してみて、なんとなく違和感を感じていたのですが…。
破風がない天守だったからなのですね。
シュッとしていると言えばシュッとしています。
お堀も大きく張り巡らされ、要衝に立つ城であることがわかります。
石垣や大手に向かう道筋も立派です。
歴代藩主家の家紋です。
その中で、瓦に描かれていたのは、深溝松平氏の重ね扇でした。
天守からは雲仙もよく見えます。
平成の初めには大噴火したんですよね。
ここからは、島原から熊本まで高速船で移動します。
原城(続日本100名城第188番)
さて、12月14日から九州城巡りに行ってきました。
この時から、新しいカメラEOSRをお供に…。
島原の乱終息後、廃城となり使用されることはありませんでした。
島原市街地からバスで1時間くらい行ったところにあります。
まず、三の丸の入り口からスタートします。
こうして見ると、かなり大きいことがわかります。
三の丸を少し行くと、板倉重昌慰霊碑があります。
幕府側の第一次大将でしたが、総攻撃時に銃弾を受け戦死してしまいました。
二の丸方面へ少し行くと、空堀が見えてきます。
ここには女子供(非戦闘員)をいざというときに隠していたとか。
本丸付近の石垣。
埋門の跡。ここから先が本丸になってきます。
天守台の跡です。
本丸の跡にはところどころお地蔵様が見られます。
悲しい歴史を物語っています。
本丸からは海を隔てて天草も見えます。
天草四郎像もあります。
破却された石垣群。島原の乱後、徹底的に破却されたそうです。
本丸の脇にある「ホネカミ地蔵」
乱当時の無数の遺骨が埋葬されているそうです。
今でもお花を手向けられる方々がいらっしゃるのがなによりではあります。
帰り道に道に迷っていたら、旧島原鉄道の原城駅と廃線跡がありました。
2008年までここを鉄道が走っていたそうですよ。
原城(続日本100名城第188番)
さて、12月14日から九州城巡りに行ってきました。
この時から、新しいカメラEOSRをお供に…。
島原の乱終息後、廃城となり使用されることはありませんでした。
島原市街地からバスで1時間くらい行ったところにあります。
まず、三の丸の入り口からスタートします。
こうして見ると、かなり大きいことがわかります。
三の丸を少し行くと、板倉重昌慰霊碑があります。
幕府側の第一次大将でしたが、総攻撃時に銃弾を受け戦死してしまいました。
二の丸方面へ少し行くと、空堀が見えてきます。
ここには女子供(非戦闘員)をいざというときに隠していたとか。
本丸付近の石垣。
埋門の跡。ここから先が本丸になってきます。
天守台の跡です。
本丸の跡にはところどころお地蔵様が見られます。
悲しい歴史を物語っています。
本丸からは海を隔てて天草も見えます。
天草四郎像もあります。
破却された石垣群。島原の乱後、徹底的に破却されたそうです。
本丸の脇にある「ホネカミ地蔵」
乱当時の無数の遺骨が埋葬されているそうです。
今でもお花を手向けられる方々がいらっしゃるのがなによりではあります。
帰り道に道に迷っていたら、旧島原鉄道の原城駅と廃線跡がありました。
2008年までここを鉄道が走っていたそうですよ。
小諸城(日本百名城第28番)
日帰り旅の最後は小諸城です。
有名な「懐古園」の扁額のかかった三の門
道と鉄道を隔てたところの大手門。こちらも現存です。
小諸城:平山城 戦国期に武田信豊が築城したと伝えられています。
その後、仙石秀久(漫画「センゴク」の主人公)が入封されました。
その後、1700年代初頭に牧野氏(長岡藩牧野氏分家)が入り、小諸藩1万5千石の
城下となりました。
城郭は城下町である市街地よりも低地に縄張りされ、
市街地から城内を見渡すことができ、このため穴城とも鍋蓋城ともいう別称が
あるそうです。
三の門を横から撮ってみました。
浅間山の噴火時の溶岩が使われている石垣もあります。
三の丸へ向かう途中。いいクランクですねぇ。。。
天守台の石垣とその上からの光景。
やはり、高い。。
展望台から千曲川を望んで。
日本の原風景ですね。
ここも紅葉がいいあんばいでした。
鹿がぎゅうぎゅう。。
ペンギンもいるぞ。
本丸跡に建つ、懐古神社の瓦は牧野柏(三つ柏)でした。
山本勘助が愛用したという「鏡石」もありました。
さて、次の旅からは、新しいカメラで撮影したものになります。
何か変わってくるかな??
上田城(日本百名城第27番)
上田城:梯郭式平城 真田時代の2度の上田城の戦いが有名ですが、
江戸時代は、真田信之の松代転封ののち、仙石氏(仙谷忠政。漫画「センゴク」の
主人公、仙石秀久の子)が入封し、現在の上田城の城地を完成させた。
その後、1706年に仙石氏は出石に移封され、藤井松平氏流が入封し幕末まで続いて
行きました。藤井松平氏時代は、二人の老中を輩出もしています。
今回は裏側にあたる、二の丸北虎口から入ります。
少し歩いていくと、本丸の土塁の隅欠(すみがき)が見えますが、
これは鬼門除けと考えられています。
こちらは二の丸のお堀の跡です。1972年までここには電車が走っていました。
ここも紅葉が美しかったです。
大手櫓門の石垣に、巨石「真田石」があります。
尼ケ淵の河岸段丘の上に本丸はあります。
昔は、ここに川が流れていたそうです。
こうして見ると、結構な崖の上にあります。
そのまま道すがらで小諸城へ向かいます。