和歌山城(日本百名城第62番)

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ホテルから撮った夜の和歌山城です。

伊勢神宮参拝の後、近鉄特急→南海電車で和歌山へ。

 

和歌山城は、豊臣秀長が築城を開始し、浅野行長が改修、

そののち、徳川御三家の一つ、紀州徳川家徳川頼宣)が入り、大改修と拡張が

図られました。

石垣が時代時代によって違うのも特徴的です。

 

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こちらは築城初期の野面積み

 

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こちらは浅野期のものと思われます。

 

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キレイにそろっている、徳川期の石垣です。

 

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石垣の石を拡大してみました。玄武岩質でしょうか?

柱状節理が走っているのがわかります。

 

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大小天守です。現存天守ではありませんが、天守の建造年代としては

もっとも新しい1850年建造でした。

武家諸法度天守の建造は禁止されていましたが、紀州徳川家の家格を鑑み

特別に許可されたいきさつがあります。)

江戸時代を通じて、紀州徳川家から2人が直接徳川宗家を相続(将軍に就任)

していることもあるのでしょうね。

(1人は徳川吉宗、1人は徳川慶福徳川家茂

 

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名古屋城よりは小ぶりですが、ちゃんと葵紋のある鯱が乗っています。

 

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二の丸と西の丸をつなぐ御橋廊下です。

 

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西の丸庭園の「三つ鍬形」紋の軒瓦。

この「三つ鍬形」は、ある時徳川家康が、信長・秀吉・家康の三英傑が、

兜をかぶったまま鼎談している。という夢をみて、それを替紋とするよう、

頼宣に授けた。といういわれがあるとか。

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これは別の場所ですが、こちらにもありました。

 

 

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重要文化財の岡口門(現存)です。

 

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外堀は埋め立てられ、市街地化しています。内堀がその威容を物語っています。