神様のおぼしめしってあるのかな?
つかぬこと。ではありますが。。
私、クリスチャンなんですね。
昨年のクリスマス礼拝の時に、とある方の来年(要は今年)
の幸福をお祈りしました。
(特別なことではなく、礼拝なので、一般的なことです。)
その人、今年になって、いきなりレームダック状態になって、
私の目の前から消えていきました。
最近、ひょんなことからお会いする機会があったのですが、、
「は、え?なにそれ?」的な気持ちになりまして、
もう、お会いすることはないでしょう。
って考えてみると、
神様が私に対して、何かのおぼしめしを下されたのかな?
「その人は私のためにはならない。」って。
でも、まぁ、本当にご縁がなくなって、
すっきり晴れやかな気持ちです。
言い方は悪いのかもしれないけど、
心を配るべき人に心を配るべき。なんですよね。
↑
母校のチャペルです。
ご縁を切るということ
程度の差はどうあれ、人にはそうしなければ
ならないことがあるでしょう。
私は……。
跡形もなく、
思考、記憶の中からも、
抹消することにしています。
それは…。
「最初から存在していなかった。」と
同じレベルで。
気持ち、楽ですよ。
本物の「絆」
この前、備中松山城を旅した時に、城下で「山田方谷先生家塾跡」を見つけました。
この山田方谷先生。幕末の頃の方ですが、若かりし河井継之助(つぎのすけ。と読みます。)が教えを乞いに越後長岡(今の新潟県長岡市)からわざわざ来て、数ヶ月寄宿したそうです。河井継之助と長岡の幕末期の行動に多大なる影響を及ぼした。とあります。
(このあたりは、司馬遼太郎「峠」に詳しいので、ぜひ。)
そんなご縁もあって、
今回の豪雨災害で甚大な被害を受けた、高梁市に、長岡市から役所、消防、民間からメンバーを結成した「官民ユニット」の派遣を決めた。とヤフーニュースに出ていました。
私の先祖は越後長岡藩出身です。
なんとなく誇らしく思えました。
本当の「絆」ってこういうことを指すのではないかなぁ。
最近、「絆」の大安売りじゃないか?
って思える言葉が氾濫していたので…。
どうなるんでしょうね?
今日も、馬鹿馬鹿しいことを1つ。。。
最近、高校野球の地方予選で、1校では部員が足りないので、
「合同チーム」が編成されることが見受けられますよね。
(私の高校時代にいた、東東京大会でも見られるようになりました。。。
隔世の感。。。)
もしも、合同チームが甲子園に出場したら……。
校歌斉唱の校歌ってどうするんだろ?
メドレー??かな???
あぁ、馬鹿馬鹿しい。
私も、弱っちい学校でしたけど、高校球児でした。
岡山観光写真展(ってほどのもでもない。)
岡山旅行の時の写真をちらりほらりと。
(まだブログにアップしてないものたちです。)
※115系山陽色
前と後ろです。まっ黄色の塗色が特徴です。
なんだ、この103系風なのは。。。
※キハ40系車内 青モケットのクロスシートと栓抜き。
懐かしい昭和の風景…。
青モケットのシート。硬いんですよね。
栓抜きもありました。瓶の飲み物自体見なくなりましたね。
※上手く撮れた。と思う写真2つ
備中松山城の二の櫓の門と青いモミジ。
ピントをモミジに合わせたら、上手に後ろがぼけてくれました。
備中松山城からの帰り道でのお花。
マクロ機能を使ってみました。
すごいですねーーー!マクロって。
本チャンのマクロレンズが欲しくなります…。
松本城(日本百名城第29番・現存天守・国宝)
岡山から帰った日が夜勤だったのですが…。
夜勤明けに、なんとなくもう1つお城に行っておきたいな。と思い。
急遽、松本城に行ってきました。
国宝5城の1つ。15年ぶりくらいの訪問でした。
まずは遠景から
こちらは俗に烏城(からすじょう)と呼ばれています。
歴代藩主家の紋入りの灯篭(電気式)
天守近景です。
向かって左に辰巳附櫓と月見櫓という構造です。
乾小天守
月見櫓
中の階段は撮影できませんでしたが、相当な急こう配で、低く作られているので、
要注意です。私も、15年前にぶつけたところで再び頭をぶつけました。
旧開智学校を望む。
石垣。岡山城もそうでしたが、独特のまだら模様に組まれています。
中の階段を力を入れて慎重に上り下りしたせいか、
翌日からももの筋肉痛に悩まされました…。
岡山城(日本百名城第70番)
津山から岡山へ津山線で移動
津山17:29→岡山19:02
2両編成の1両目 いわゆる朱色1号ですね。
2両目
こういう国鉄型の車両ももうすぐなくなっていくんだろうな…。
夜になっていたので、そのまま岡山で宿泊し、
翌朝、岡山城へ行きます。
駅前の道で
左が宇喜多氏、右が池田氏の紋です。
道沿いにずっとありました。
岡山城内へ、まずは「不明門(あかずのもん)」から
石垣の色味が独特(まだら)です。
次に行く松本城もそんな石垣でした。
そして天守閣
烏城または金烏城の異名で知られています。
破風1つ1つに金瓦かしゃちほこが乗っています。
天守内から撮影したしゃちほこ
キンキラキンでした。
宇喜多時代の石垣が発掘されたそうです。
大阪城みたいですね。
少しだけ後楽園にも寄る時間があったので、
後楽園側から撮ってみました。
遠くからこれが見えたら、威圧感がすごかったでしょうね。
江戸時代の平和な頃なら、目印になったかもしれませんね。
津山城(日本百名城第67番)
備中松山城を後にして…。
次は津山を目指します。
鉄道ルートで行くには、備中高梁から岡山に戻って津山線で行くのが一般的ですが、
今回はたまたま、備中高梁から新見に行き、そこから姫新線で津山に行くことが
できました。姫新線は1日に数えるほどしか出ていないので、
狙い撃ちしていきましょう。
新見13:39→津山15:16(姫新線)
津山まで行けるのは、1日に7本です。
最近、お手洗いをつける車両が増えてきたとか。
津山に到着。ごんご(かっぱ)の街だそうです。
マンホールにもかっぱ
お城の入り口、鶴城公園という桜の名所になっています。
森氏断絶の後は、越前松平家が入ります。
石垣と石段。結構だらだらと距離がありました。
石垣の中にある穴。
なんだろう??
江戸城みたいですね。
城下の観光センターで買ったマスカットラムネ
炭酸少なめでおいしかったです。
この後、津山線に乗って岡山に戻ります。
津山駅前のSL(C11)でした。