白河小峰城(日本百名城第13番)

f:id:hakonegasaki523:20180919134718j:plain

さて、四国・九州旅行から帰還後、夜勤を挟み、1日休みができたので、

9月3日にぷらっと近所の城巡りに行ってみたくなったので、

急遽、白河小峰城に行ってきました。

 

白河小峰城 平山城

白河の地は、結城氏の支配に置かれた後、秀吉の奥州仕置により、蒲生・上杉と渡り、

江戸時代になって、丹羽長重が城郭の基本形が完成しました。

その後、榊原→本多(忠勝系)→奥平松平→越前松平→久松松平→阿部

と藩主家が転々と変わっていきますが、10万石から15万石程度の石高を誇り、

親藩・譜代の重鎮が封ぜられる、東北の玄関口たる要衝といえる場所でしょう。

当地からは、松平定信阿部正外の2人の老中を輩出しています。

また、戊辰戦争時の「白河口の戦い」で激戦地ともなったところで。

 

お城は東北本線白河駅のすぐそば。

駅から向かう地下道に城の石垣の組み方の図解があります。

f:id:hakonegasaki523:20180920161722j:plain

 

 実際の石垣はこんな感じです。

f:id:hakonegasaki523:20180920162326j:plain

 

f:id:hakonegasaki523:20180920162818j:plain

確かにはっきりとした湾曲が見られます。

意外と珍しいタイプかもしれません。

 

f:id:hakonegasaki523:20180920162849j:plain

桜御門跡です。こちらの入り口は本丸御殿を経由して櫓に入っていきます。

 

 

f:id:hakonegasaki523:20180920164005j:plain

こちらは天守閣ではなく、御三階櫓となります。武家諸法度の兼ね合いで、

天守の代用となります。

f:id:hakonegasaki523:20180920164622j:plain

f:id:hakonegasaki523:20180920164636j:plain

戊辰戦争時に打ち込まれた鉄砲玉の跡が至る所にあります。

 

f:id:hakonegasaki523:20180920165001j:plain

石落としから

 

f:id:hakonegasaki523:20180920165128j:plain

狭間からです(マニア)

 

f:id:hakonegasaki523:20180920165406j:plain

本来の正門、前御門です。

 

f:id:hakonegasaki523:20180920165502j:plain

本丸御殿跡ですが、あまり大きくはありません。

 

f:id:hakonegasaki523:20180920165535j:plain

お城全体の石垣の雰囲気。

東北の玄関口の要衝にふさわしい偉容です。

 

f:id:hakonegasaki523:20180920165738j:plain

3.11の東日本大震災の時に崩れた石垣がまだ復旧中でした。

 

f:id:hakonegasaki523:20180920165831j:plain

f:id:hakonegasaki523:20180920165846j:plain

内堀と紅葉が始まったモミジも。

 

f:id:hakonegasaki523:20180920170404j:plain

白河の街中には、戊辰戦争時の犠牲者の方々の慰霊碑・供養塔などが、

東西両軍問わず、いたるところにあります。

 

 

f:id:hakonegasaki523:20180920170506j:plain

家紋瓦は「星梅鉢」(久松松平氏)でした。

 

f:id:hakonegasaki523:20180920170600j:plain

 

f:id:hakonegasaki523:20180920170611j:plain

三方領地替えの対象となった3市が友好都市となっているようです。