言葉が心に落ちるとき。そんな感覚を感じたことはありませんか?
「腑に落ちる」に近い感覚かもしれませんね。
私は、自他ともに認める…。
あまのじゃく、ひねくれ者、血も涙もない、冷酷無比、人の言うことは話半分、言われたことを素直には受け取らない、皮肉屋、言葉にトゲがあるというタイプなのですが…。
(人から言われるのですが、ひどいな…。)
なぜだろう。
彼女の発する言葉は、私の心にストン。と素直に落ちてきました。
真っ白な綿がどんどん水を吸うような。そんな感覚もありました。
なんの疑いもなく、不思議に思うこともなく、私の心にダイレクトに響いてきました。
もしも心の中に「やる気スイッチ」みないなものがあるとしたら、
そのスイッチをポン。と押された感覚でした。
(スイッチをいきなり叩かれた。かもしれませんが。。。)
彼女の言葉たちに素直に反応して、できる限り自分の今の思いを発信したい。
同じ目線に立って、色々な考えや思いを共有していたい。
彼女の発する言葉たちになんのケレンも皮肉もええかっこしいもなく、
どう捉えられるかわからないけど、自分の感じた思いを素直に返したい。
そう考えさせてくれる人でした。
私の年齢的にはもう彼女に対して恋愛感情を抱く。とかはないけれど、
人間に対する愛情を久々に感じさせてくれたなぁ。と思っています。
過ごした時間は、有意義だし、楽しかった。
心の中でそばにいることや思いを共有している感覚があって、
とても生き生きとした自分がいた。
もう一度、私自身の人間としての在り方を見つめなおさせてくれた。
短い時間だったけど、すごく感謝しています。
どういう形であれ、出会えて嬉しかった。
私の人生の中で前へ進むトリガーを引く出来事が1つは3.11とするなら、
もう1つはこの出会いだったかもしれません。
大杜若羽さんは、もう、この世界には存在しません。
いつかその日はやってくると思っていたので、それはそれで仕方のないこと。
強いて言うなら、彼女は自分の感情・心情・思考・意思を自分の言葉でコントロールするには、まだ未熟だったのかもしれません。
ただ、その言葉の未熟さ、荒々しさ、素直さ、ストレートさが、私の心に直接響いてきたのかもしれませんし、それは諸刃の剣であったのでしょう。
末筆になりましたが
お誕生日おめでとうございます。
この新しい1年こそ、幸せに満ち溢れたものであることを願っています。
(悲しいけど、もう、私の中では祈ることはできません。時間って残酷ですね。)
さようなら。