ワンコのお腹の具合が悪かったようで。。
先週の水曜日くらいから、下痢の症状が出て(ほぼ生まれて初めて)
土曜日には血便が出始めました(生まれて初めて)
年齢が年齢なので(今年で推定12歳)
がん。とか、重篤な病気も覚悟しないといけないのかなぁ。
と思いつつ動物病院へ。
結果。。
新しくしたドッグフードの成分の何かが体質に合わない。のでは??
とのことでした。
そんなことあるのか??
体質に合わない成分が、腸を荒らしてた。のかなぁ。
ま、血便以外は、健康そのものではありました。けどね。
ということで、ドッグフード変えました。
ビタ〇ンシリーズ。だめだなぁ。。
七尾城であった不思議なお話
この前、七尾城の話題が出たので、
実際に七尾城に行った時の不思議なお話をちょっとだけ。
正確には今から14年前のことでした。
当時、実家で飼っていた犬(シーズー)の容体があまり良くない。
と聞いてはいました。
(小脳梗塞を患い、1年くらい寝たきりではありました。)
七尾城を登り終えての帰り道。
実家の犬にそっくりなコが、私の足元に駆け寄って来ました。
こんな田舎に…。珍しいこともあるものだ。と思いつつ、ひとしきり遊んであげて。
「気をつけて帰りなねー。」と声をかけて、振り返ったら。
もう、そのコはいなくなっていました。
その晩、実家の犬も亡くなりました。
今思っても、最期の別れのあいさつに来たのかな?
そう思うほど、不思議な体験でした。
また、行かなきゃな。
日本百名城にも選定されたことですしね。
唐沢山城(続日本100名城第89番)
さて、こちらも昨年(2018年)の年末に行ったところです。
少々近場の栃木県佐野市にある、関東を代表する山城です。
築城時期などははっきりしていないところは多々ありますが、
上杉謙信の軍勢を数度打ち破ったことでも有名です。
早速、喰違虎口があります。
関東の山城としては、比較的珍しい石垣(高石垣)が見られます。
本丸からですが、結構高く石垣が積まれています。
本丸は唐沢山神社です。
佐野氏のルーツである藤原秀郷の左三つ巴紋です。
本丸から一段下りた二の丸
ここには櫓があったようです。
搦手方面へ向かいます。
大手の橋と堀が見えました。
どかない猫。。。
標高247mの山頂から。
唐沢山は山頂付近は砂岩、中腹より下部はチャート層でできています。
佐賀城(日本百名城第89番)
すっかり本題のブログの更新をすっぽかしていました。
こちらは、昨年の年末の九州旅行の続き(熊本城の続き)です。
熊本城を見終わった後、武雄温泉で1泊し、最終日の飛行機までの間、佐賀城を
見てきました。
佐賀は、最初に行ったときに、本当になんもないとこなのかなー?と思ってましたが
(あの歌の影響)
実際には、博多と長崎、熊本、鹿児島方面への重要な結節点(佐賀や鳥栖)で、
比較的繁栄しつつもごみごみはしていないところです。
復元された大手門です。
1枚目は、これも復元された本丸御殿。中は史料館のようになっています。
天守台の石垣です。高さはそれほどではありませんが、きめ細やかです。
天守台からの眺望です。
堀がめぐらされています。
大手門の櫓にハートの生け垣が!
おそらく、日本古来の魔よけ「猪目」紋様と思われます。
瓦は、鍋島氏の杏葉紋でした。
さて、年明けからもちょこちょことは回っていますので、
これからは頻繁に書いていこう!(予定)
久々のコメントでした。
七尾城…。
行ったことあります♪
ただ、もう15年くらい前なので、だいぶ変わったかもしれません。
それにしても、お元気そうでなによりです。
お会いできるならお会いしたいものですね✨
現在、禁煙16日目です。
今日、3度目の病院にいってきます。
禁煙することにしました
ふと、思い立って。。
5月1日から禁煙することにしました。
ちゃんと禁煙外来に行って、チャンピクスを処方してもらっています。
これは、最初の7日間は薬を飲みながら喫煙してもOKで(慣らし運転みたいな?)
8日目以降、完全に禁煙して薬を飲み続けていきます。
ま、私は…。12日間禁煙できませんでしたが。。
今日(5/15)現在で、禁煙外来のスケジュール的に2回の受診が終了し、
禁煙スケジュールは15日目に入っています。
(全体では12週間です)
1回目と2回目での呼気中の一酸化炭素濃度は
ま、単純なんですけど、看護師さんに(しかも若くてかわいい♪)
応援されたり、ほめられたりすると。。。
がんばろっかな♪♪
単純な生き物ですねぇ。。
ニコチン切れの一番つらいタイミングは禁煙後1週間から2週間くらいだそう
なので、これからが正念場えすね。
ま、禁煙のラストチャンスと思って、がんばってみます。
熊本城(日本百名城第92番)
復興途上の熊本城…。
当日は雨で見にくい中でした。
復旧に向けて工事中です。
加藤清正像がお出迎え。地元では「せいしょこさん(清正公さん)」と
親しみを込めて呼ばれています。
堀です。これは強引に川の流れを変えて、内堀にしたようです。
外堀に該当するのは、白川となります。
見学は石垣、建物の崩落等がありますので、遠巻きに見ていくルートになります。
こちらは未申櫓ですが、比較的ダメージは少なそうです。
こちらは構造物ごと崩れ落ちています。
大小天守と宇土櫓ですが、宇土櫓は比較的残っていますが、
小天守はかなり大きな被害を受けていることがわかります。
石垣復旧のために、崩落した石を置いておいてあります。
石に番号が付番してありますが、これは、以前の写真を見ながら、
どこの(Hなら本丸)上から何番目、右から何番目が記してあります。
その後、それをジグソーパズルのようにして積んでいく予定です。
中空状態になっています。
外郭の北十八間櫓は大きな被害を受けていました。
道路を挟んで向かい側の熊本市役所の展望フロアが無償開放されていて、
全体の工事の様子がわかります。
熊本駅に大量のくまもんが。。。
知覧城(続日本100名城第198番)
12月15日は、島原を後にしたのち…。
高速フェリーで熊本へ(30分で熊本港まで行けます。)その後九州新幹線で
鹿児島中央駅へ行き、そこからバスで1時間30分ほどの場所にある知覧城へと
向かいました。
知覧城:中世山城、1615年に廃城となるが、知覧は島津氏分家の佐多氏が幕末まで
知覧領主として納めた地でした。
さて、バスを降りて歩いていると…。
おや、工事中?
お茶むらい。。知覧は鹿児島では茶どころで有名です。
看板を発見。
崖が見えます。高いところに郭があったのでしょうね。
苔むした道を進んでいきます。が…。
あれ、この先通行止。。
工事中の看板はこのことだったのか…。
後でよくよく見ると、台風の時に法面が崩れてしまっているそうです。
ミュージアム知覧(スタンプ設置場所)に特別に置いてあった(直前に団体客が来たそうです)模型でお楽しみください。
知覧の武家屋敷にも足を伸ばしてみました。
この日は鹿児島に戻り、1泊します。
島原城(日本百名城第91番)
島原城:平城 島原の乱を誘因した、松倉重政・勝家の時代が有名ですが、
その後はめまぐるしく藩主家が変わっていきましたが、
深溝松平氏の治世が比較的長く続いていきました。
写真を見返してみて、なんとなく違和感を感じていたのですが…。
破風がない天守だったからなのですね。
シュッとしていると言えばシュッとしています。
お堀も大きく張り巡らされ、要衝に立つ城であることがわかります。
石垣や大手に向かう道筋も立派です。
歴代藩主家の家紋です。
その中で、瓦に描かれていたのは、深溝松平氏の重ね扇でした。
天守からは雲仙もよく見えます。
平成の初めには大噴火したんですよね。
ここからは、島原から熊本まで高速船で移動します。