知覧城(続日本100名城第198番)
12月15日は、島原を後にしたのち…。
高速フェリーで熊本へ(30分で熊本港まで行けます。)その後九州新幹線で
鹿児島中央駅へ行き、そこからバスで1時間30分ほどの場所にある知覧城へと
向かいました。
知覧城:中世山城、1615年に廃城となるが、知覧は島津氏分家の佐多氏が幕末まで
知覧領主として納めた地でした。
さて、バスを降りて歩いていると…。
おや、工事中?
お茶むらい。。知覧は鹿児島では茶どころで有名です。
看板を発見。
崖が見えます。高いところに郭があったのでしょうね。
苔むした道を進んでいきます。が…。
あれ、この先通行止。。
工事中の看板はこのことだったのか…。
後でよくよく見ると、台風の時に法面が崩れてしまっているそうです。
ミュージアム知覧(スタンプ設置場所)に特別に置いてあった(直前に団体客が来たそうです)模型でお楽しみください。
知覧の武家屋敷にも足を伸ばしてみました。
この日は鹿児島に戻り、1泊します。
島原城(日本百名城第91番)
島原城:平城 島原の乱を誘因した、松倉重政・勝家の時代が有名ですが、
その後はめまぐるしく藩主家が変わっていきましたが、
深溝松平氏の治世が比較的長く続いていきました。
写真を見返してみて、なんとなく違和感を感じていたのですが…。
破風がない天守だったからなのですね。
シュッとしていると言えばシュッとしています。
お堀も大きく張り巡らされ、要衝に立つ城であることがわかります。
石垣や大手に向かう道筋も立派です。
歴代藩主家の家紋です。
その中で、瓦に描かれていたのは、深溝松平氏の重ね扇でした。
天守からは雲仙もよく見えます。
平成の初めには大噴火したんですよね。
ここからは、島原から熊本まで高速船で移動します。
原城(続日本100名城第188番)
さて、12月14日から九州城巡りに行ってきました。
この時から、新しいカメラEOSRをお供に…。
島原の乱終息後、廃城となり使用されることはありませんでした。
島原市街地からバスで1時間くらい行ったところにあります。
まず、三の丸の入り口からスタートします。
こうして見ると、かなり大きいことがわかります。
三の丸を少し行くと、板倉重昌慰霊碑があります。
幕府側の第一次大将でしたが、総攻撃時に銃弾を受け戦死してしまいました。
二の丸方面へ少し行くと、空堀が見えてきます。
ここには女子供(非戦闘員)をいざというときに隠していたとか。
本丸付近の石垣。
埋門の跡。ここから先が本丸になってきます。
天守台の跡です。
本丸の跡にはところどころお地蔵様が見られます。
悲しい歴史を物語っています。
本丸からは海を隔てて天草も見えます。
天草四郎像もあります。
破却された石垣群。島原の乱後、徹底的に破却されたそうです。
本丸の脇にある「ホネカミ地蔵」
乱当時の無数の遺骨が埋葬されているそうです。
今でもお花を手向けられる方々がいらっしゃるのがなによりではあります。
帰り道に道に迷っていたら、旧島原鉄道の原城駅と廃線跡がありました。
2008年までここを鉄道が走っていたそうですよ。
原城(続日本100名城第188番)
さて、12月14日から九州城巡りに行ってきました。
この時から、新しいカメラEOSRをお供に…。
島原の乱終息後、廃城となり使用されることはありませんでした。
島原市街地からバスで1時間くらい行ったところにあります。
まず、三の丸の入り口からスタートします。
こうして見ると、かなり大きいことがわかります。
三の丸を少し行くと、板倉重昌慰霊碑があります。
幕府側の第一次大将でしたが、総攻撃時に銃弾を受け戦死してしまいました。
二の丸方面へ少し行くと、空堀が見えてきます。
ここには女子供(非戦闘員)をいざというときに隠していたとか。
本丸付近の石垣。
埋門の跡。ここから先が本丸になってきます。
天守台の跡です。
本丸の跡にはところどころお地蔵様が見られます。
悲しい歴史を物語っています。
本丸からは海を隔てて天草も見えます。
天草四郎像もあります。
破却された石垣群。島原の乱後、徹底的に破却されたそうです。
本丸の脇にある「ホネカミ地蔵」
乱当時の無数の遺骨が埋葬されているそうです。
今でもお花を手向けられる方々がいらっしゃるのがなによりではあります。
帰り道に道に迷っていたら、旧島原鉄道の原城駅と廃線跡がありました。
2008年までここを鉄道が走っていたそうですよ。
小諸城(日本百名城第28番)
日帰り旅の最後は小諸城です。
有名な「懐古園」の扁額のかかった三の門
道と鉄道を隔てたところの大手門。こちらも現存です。
小諸城:平山城 戦国期に武田信豊が築城したと伝えられています。
その後、仙石秀久(漫画「センゴク」の主人公)が入封されました。
その後、1700年代初頭に牧野氏(長岡藩牧野氏分家)が入り、小諸藩1万5千石の
城下となりました。
城郭は城下町である市街地よりも低地に縄張りされ、
市街地から城内を見渡すことができ、このため穴城とも鍋蓋城ともいう別称が
あるそうです。
三の門を横から撮ってみました。
浅間山の噴火時の溶岩が使われている石垣もあります。
三の丸へ向かう途中。いいクランクですねぇ。。。
天守台の石垣とその上からの光景。
やはり、高い。。
展望台から千曲川を望んで。
日本の原風景ですね。
ここも紅葉がいいあんばいでした。
鹿がぎゅうぎゅう。。
ペンギンもいるぞ。
本丸跡に建つ、懐古神社の瓦は牧野柏(三つ柏)でした。
山本勘助が愛用したという「鏡石」もありました。
さて、次の旅からは、新しいカメラで撮影したものになります。
何か変わってくるかな??
上田城(日本百名城第27番)
上田城:梯郭式平城 真田時代の2度の上田城の戦いが有名ですが、
江戸時代は、真田信之の松代転封ののち、仙石氏(仙谷忠政。漫画「センゴク」の
主人公、仙石秀久の子)が入封し、現在の上田城の城地を完成させた。
その後、1706年に仙石氏は出石に移封され、藤井松平氏流が入封し幕末まで続いて
行きました。藤井松平氏時代は、二人の老中を輩出もしています。
今回は裏側にあたる、二の丸北虎口から入ります。
少し歩いていくと、本丸の土塁の隅欠(すみがき)が見えますが、
これは鬼門除けと考えられています。
こちらは二の丸のお堀の跡です。1972年までここには電車が走っていました。
ここも紅葉が美しかったです。
大手櫓門の石垣に、巨石「真田石」があります。
尼ケ淵の河岸段丘の上に本丸はあります。
昔は、ここに川が流れていたそうです。
こうして見ると、結構な崖の上にあります。
そのまま道すがらで小諸城へ向かいます。
松代城(日本百名城第26番)
カメラ買い換えました。
6月にEOS6DMark2でフルサイズ一眼デビューしましたが…。
オールドレンズで撮影をしていると…。
2.5mから無限遠でミラー干渉が発生することが…。
うーん。どうしようかな。。。
そうこう考えているうちに…。
マップカメラで、中古下取り12%アップキャンペーン!
ビックカメラで、ポイント3%アップキャンペーン!
Paypayで20%ポイントバックキャンペーン!!
うーむ。買い換えちゃえ!
というわけで、フルサイズミラーレスのEOSRに買い換えました。
じゃん!(携帯で撮ったから何かおかしい。)
レンズは
「RF24-105mm F4 L IS USM」
このカメラではいわゆる標準レンズにしました。(Lレンズなのに…。)
マウントアダプタも買いましたので、今までのEFレンズも使えます。
12月からはこれで色々と撮影するぞ!
五稜郭(日本百名城第2番)
さて、東北・函館旅行最終日
(それ以前には何回か来たことがあります。)
五稜郭…陵堡式城郭。いわゆる、お城としては最後の建築となります。
立体模型や図面で形をしっかり把握しておきましょう。
(中にはいるとわかりにくくなるから。)
石垣は城郭建築最晩年のものともあってしっかりと組まれています。
内堀もしっかりと残っています。
外堀を見ると、虹がかかっていました。
内部には箱館奉行所が復元されています。
定番の五稜郭タワーから見てみます。
レンズの広角のギリギリ一杯…。
半月堡(下の馬出部分)をアップで
タワーからも薄く虹が出ていました。
おまけ。
前日の夜の函館山の夜景を。
海峡や湾の様子がよくわかりました。
五稜郭タワーも見えました。
これで、10月の東北函館ツアーは終了です。
まだまだ、行ってきたネタが残っていますので、
整理しながら書いていきたいと思います。
志苔館(続日本100名城第101番)
すっかり、ブログをさぼっていました。。
しかも、10月の旅行記の途中でした。
では、続きです。10月28日に弘前から浪岡を経由して、函館に入りました。
までは、前回のくだり。
函館では、まず最初に続日本100名城に指定されている志苔館(しのりたて)へ
向かいます。
志苔館… 山城 アイヌとの境界に置かれた倭人の中世城郭(要塞)と言えます。
函館駅からバスで30分くらいのところにあります。
入り口にこのような看板が。
管理事務所などはなく、無人です。
比較的高い土塁がわかります。
土塁と土塁の間には空堀があります。
函館湾もよく見えました。
土塁の上には建物跡と、井戸の跡がありました。
スタンプはこんな感じです。
敷地内のあずまやにありますが、なんせ無人でしたので…。
翌日の最終日は、五稜郭へと向かいます。
浪岡城(続日本100名城第103番)
10月28日に弘前から浪岡へ向かいました。
奥羽本線で30分くらい。弘前と青森のちょうど中間くらいの位置にあります。
浪岡城(浪岡御所)
平城 築城時期は15世紀中ごろと推定される。(応仁期ごろか?)
南朝方の有力武将であった北畠氏の支族、浪岡北畠氏が築き、
1578年に大浦(津軽)為信に滅ぼされるまで北畠氏の居城でした。
典型的な中世城郭(居館)様式を残しています。
案内図(縄張りはこちら)
北館は家臣団の居所があったエリアです。
中央に井戸があり、周辺を屋敷・長屋が囲っています。
各館の間には内堀があり、館の土塁間を隔てています。
内館は城主の居館があった場所と言われています。
内館を隔てる堀は他よりも深めです。
外から内館を見るとこんもりしているのがわかります。
内館の中にある記念碑
「北畠古城跡碑」と書いてあります。
館の外側に流れる浪岡川が外堀の役目を果たしていました。
ちょうど紅葉が始まりかかったころ合いでした。
浪岡駅の中にある「あぴねす」で無料自転車が借りられます。
(4月から10月まで)
とても親切にしていただきました。
津軽の方々は、気さくで親切な方が多かった印象です。
スタンプはこちらです。
この後、青森を経由して、函館へ向かいます。
弘前城(日本百名城第4番・現存天守・重要文化財)
お久しぶりの更新ですが、10月の東北旅行の続きです。
秋田から弘前に行きました。ちょうど日が傾きかけた頃でしたので、
ちょうどいい時間帯だったかもしれません。
現存十二天守の1つとして名高い天守ですが、1811年に再建されたものです。
(とはいえ、200年以上経っています。)
10月27日に行きましたが、ちょうど紅葉しかかっている感じでした。
こちらは外堀です。
三の丸東門から中へ。門、堀割、石垣、櫓などほぼ江戸時代の姿を残しています。
こちらも重要文化財の二の丸南門
石垣が苔むしていいあんばいです。
天守は三層三階のそれ相応な大きさではありますが、重厚感がある気がします。
雪の重みに耐えるためでしょうか?
瓦の家紋は津軽牡丹。
わかりにくいので、こちら。
晴れていれば、岩木山が見えるはずでした…。
木によって紅葉のあんばいもちょっとずつ違いました。