秋の花々

少々趣向を変えて、あちらこちらで撮影した、秋の花々など。

 

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紅白の彼岸花

少し暗めに撮影して、マットな感じにしました。

 

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白い方にピントを当ててみました。

 

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コスモス各色。

 

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花壇のお花。

 

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グラデーションの見事なモミジ

 

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雨の日が続きました。

 

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☆型の朝顔発見。

 

「新九郎奔る!」

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今日はマンガ「新九郎奔る!」のお話です。

パトレイバーなどでおなじみのゆうきまさみ氏の最新作です。

帯にもある通り、戦国大名の嚆矢としても有名な、北条早雲の物語です。

まだ第1巻で少年時代、伊勢新九郎の時代(元服後、盛時と名乗る)かつ

応仁の乱前夜頃を描いていますので、人間関係を含めてややこしいこと

この上ない。。という状況です。(ま、正直いえば、生涯ずっと

境遇的にはややこしいのですが…。)

 

かつては、下克上の一代記として語られる物語でしたが、近年の研究で、

以下の事がわかってきています。

 

・元々は、室町幕府政所執事(今なら官房長官財務大臣クラス)を世襲する、

 伊勢氏の当時の嫡流伊勢貞親の妹婿の次男であった。

・家柄的には、当時の上流階級に属し、幼いころから将軍近侍することも

 でき、申次衆・奉公衆と幕府役職を歴任した。

・有名な話として、今川氏の家督争いを調停し、自分の姉(または妹)の子

 を家督に据えた(後の今川氏親今川義元の父)功績で駿河に所領を与えられた

 ことが飛躍の足掛かりになった。とされているが、

 これは、幕府の意向もあり、また、申次衆の権力を背景とし調停したもの

 と解釈されている。(所領が与えられたのは事実)

・伊豆で独立勢力として旗揚げした時は、奉公衆(将軍直属の軍事部隊)として

 堀越公方殲滅の軍事行動中であったらしい。

・生涯を通じて、「北条」の苗字を名乗った公式な記録は見当たらない。

 (北条姓が見られ始めるのは、子の氏綱以降)

 

とま。昔に比べると格段に研究が進んできてはいますが、

まだまだ謎の多い、背景を読み解くのが厄介な時代ではあります。

 

 

白河小峰城(日本百名城第13番)

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さて、四国・九州旅行から帰還後、夜勤を挟み、1日休みができたので、

9月3日にぷらっと近所の城巡りに行ってみたくなったので、

急遽、白河小峰城に行ってきました。

 

白河小峰城 平山城

白河の地は、結城氏の支配に置かれた後、秀吉の奥州仕置により、蒲生・上杉と渡り、

江戸時代になって、丹羽長重が城郭の基本形が完成しました。

その後、榊原→本多(忠勝系)→奥平松平→越前松平→久松松平→阿部

と藩主家が転々と変わっていきますが、10万石から15万石程度の石高を誇り、

親藩・譜代の重鎮が封ぜられる、東北の玄関口たる要衝といえる場所でしょう。

当地からは、松平定信阿部正外の2人の老中を輩出しています。

また、戊辰戦争時の「白河口の戦い」で激戦地ともなったところで。

 

お城は東北本線白河駅のすぐそば。

駅から向かう地下道に城の石垣の組み方の図解があります。

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 実際の石垣はこんな感じです。

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確かにはっきりとした湾曲が見られます。

意外と珍しいタイプかもしれません。

 

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桜御門跡です。こちらの入り口は本丸御殿を経由して櫓に入っていきます。

 

 

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こちらは天守閣ではなく、御三階櫓となります。武家諸法度の兼ね合いで、

天守の代用となります。

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戊辰戦争時に打ち込まれた鉄砲玉の跡が至る所にあります。

 

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石落としから

 

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狭間からです(マニア)

 

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本来の正門、前御門です。

 

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本丸御殿跡ですが、あまり大きくはありません。

 

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お城全体の石垣の雰囲気。

東北の玄関口の要衝にふさわしい偉容です。

 

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3.11の東日本大震災の時に崩れた石垣がまだ復旧中でした。

 

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内堀と紅葉が始まったモミジも。

 

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白河の街中には、戊辰戦争時の犠牲者の方々の慰霊碑・供養塔などが、

東西両軍問わず、いたるところにあります。

 

 

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家紋瓦は「星梅鉢」(久松松平氏)でした。

 

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三方領地替えの対象となった3市が友好都市となっているようです。

 

四国のおまけ

さて、四国に行ったついでに、こんなところも行ってきました。

 

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そう。ドラマ「東京ラブストーリー」のロケ地です。

最終回にカンチの故郷(愛媛と言う設定)までリカがやって来て、

「バイバイ、カンチ」って書いたハンカチを括り付ける。。。。のがこの駅。

放送当時、高校生でした。

当時付き合ってた女の子と、毎週「今週、見た?」なんて、

電話(家電・いえでん、かでんじゃないよ!)で話してましたっけ。

携帯なんてない時代。電話するのもすごく勇気がいりました。

 

場所はいよてつ郊外線の高浜線梅津寺駅です。

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駅の周囲は…。

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海です。おしまい。

って感じの駅でした。

 

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駅構内信号機が二灯式なのが懐かしい。。。

 

ドラマの方は、2年くらい前に全編見直してみましたが、、

私も、年齢を重ねたのだなぁ。。ってのが率直な感想でした。

今、昼間に再放送やってるみたいですね。

 

福岡城(日本百名城第85番)

 

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福岡城 平山城 天守閣は残っていません。(写真は天守台へ向かう鉄門跡です)

城主は黒田氏(筑前福岡藩52万石)で幕末を迎えます。

関ヶ原ののち、豊後中津から加増され、福岡城の整備がはじめられます。

最寄り駅は、福岡市営地下鉄空港線赤坂駅または大濠公園駅です。

(距離的にはどちらからでも同じ)

 

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大濠公園駅から歩くと、(伝)潮見櫓が見えてきます。

 

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潮見櫓下にある下の橋御門です。ここから入って行きますが……。

まだ、ここは三の丸曲輪の入り口だということを…。後で知ります。。

 

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歩いているとこのような土塁のようなものが…。あれ……。

 

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しばらくすると、名島門が見えてきます。

 

そして、この先が福岡城本丸部分となっていきます。

道路を渡ると、舞鶴公園として整備されている一帯の一部です。

 

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やっと入り口。。

 

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石垣。すでに立派です。

 

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しばらく歩くと、祈念櫓があります。珍しい、桧皮葺の櫓です。

どうやらこの方向は天守から見て鬼門にあたるため、鬼門封じの意味をもつ櫓の

ようです。

 

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天守台の下、埋門跡です。中の石垣もきれいに積まれています。

 

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天守台から。若干雲行きが怪しい。

 

 

 

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天守台の石垣です。官兵衛流のあまり反り返りのない石垣が特徴です。

名古屋城などと見比べるとわかります。)

 

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天守台を北方向から逆に向かうと、石畳の道が。

どうやらこちら側からが正規ルート(表のルート)のようです。

 

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下りていく途中に多聞櫓がありました。

 

この後、大手門方向に向かいますが、道に迷います。。

 

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裏側は草ボーボーの石垣。結構好きです。

 

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先ほどの祈念櫓を裏から見た感じです。

 

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やっと大手門に。大きい石垣と立派な石畳です。

 

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振り返るとこんな雰囲気。やはり雲が怪しい。。。

 

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鴻臚館の跡もありました。

 

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お堀にはハスがいっぱい。ハスの花も咲いています。

 

 

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家紋瓦は大河ドラマでもおなじみとなった、「左藤巴」(黒田氏)です。

 

これで、今回の四国・九州旅行の登城は終了です(計10城)

 

このあと、地下鉄に乗って福岡空港から東京へ帰ります。

福岡空港は地下鉄直結だから、本当に楽です…。

 

 

 

 

小倉城(続日本100名城第181番)

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8月30日、中津城を後にして、小倉城へ。

中津から特急で30分前後、小倉駅から徒歩20分くらいで到着します。

おおよそ15年ぶりくらいの登城です。

中津ー小倉間の特急はかなりの確率で混んでいます。自由席だと座れない可能性が

ありますので、注意してください。(私はギリギリ座れました。) 

 

小倉城

平城 豊臣期の毛利(森)勝信・勝永親子から関ヶ原後、細川忠興が改修し、

細川忠利の代で肥後熊本に移ったのち、小笠原氏(小倉藩15万石)として入封

以後幕末まで続きます。第二次長州征伐時にちょっと舞台になる城です。

小笠原氏は元々信濃源氏の名門で、甲斐武田氏等と抗争を繰り広げ、没落し…

でしたが、なんだかんだで巡り巡って…。

でも、大名として幕末まで生き永らえたのはすごいと思います。

今では、小笠原流礼法にその名を残しています。

 

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今回は虎ノ門跡から入ります。

毎度おなじみのクランク(好物)が見られます。

 

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虎ノ門跡の石垣

 

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またまたクランクです。この先を曲がると…。

 

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松ぼっくりが落ちていたので、その目線で見てみました。

 

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お堀もあります。

 

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天守閣に到着です。破風は後世のものですが、立派なので撮影。

と思ったら、松の木が少しジャマかな。。

天守閣は来年の3月いっぱいまで、工事中で入ることはできません。

 

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大手門とその石垣、やはり壮大です。

 

100名城スタンプは、付設している小倉城庭園にありますので、そちらも訪問します。

 

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小倉城庭園からの眺めです。遠くから見るのもまたいいものです。

 

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清々しい心地がします。

 

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紅葉が少し始まってきました。

 

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お城の隣には八坂神社がありました。「豊前総鎮守」とあります。

 

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立派な門構えです。

 

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掲題の中に櫓のようなものがありましたが、もともと城郭だったのでしょうか?

後から調べてみると、北の丸の一角のようなので、そうだったのかもしれません。

 

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神社側のお堀端から天守を望みます。

 

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今回の家紋瓦は「三階菱(小笠原氏)」でした。

 

おまけで八坂神社の神紋「祇園守」もありました。

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この後は、今回の旅で最後となる、福岡城へ向かいます。

 

 

 

 

 

中津城(続日本100名城第191番)

※以前書いた記事に今回訪問のものを補完し、前の記事は削除しました。

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 8月30日、旅行最終日は九州3城を回ります。まずは、別府から中津城

別府から特急で45分前後、中津駅から徒歩15分くらいで到着します。

おおよそ4年ぶりくらいの登城です。

 

中津城

平城・日本三大水城の一つ(今回、高松・今治・中津の三大水城を一気に制覇)

築城着手は黒田孝高(官兵衛)関ヶ原後に細川忠興に引き継がれ、

小笠原氏を経て、主な藩主家として奥平氏(中津藩10万石)となります。

中津は譜代としては中規模の藩ですが、前野良沢福沢諭吉(大坂生まれですが。。)

を輩出しています。

 

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石垣たち。色味が違うところと、この写真で「/」に線が入ったところが、

細川・黒田時代の境目です。(上の写真では、左が細川・右が黒田時代のものです)

 

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門の跡の石垣。蓮が茂っています。

 

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場内から見た内堀

 

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外堀となる川。向こう側は海です。

内堀には海水が引かれていますが、魚はいないようです。

 

 

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天守台の石垣です。きめ細やかに積まれてます。

 

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お堀の突き当たりにある黒田官兵衛・光の像。新しくできたようです。

 

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お城の大手門付近の桝形です。クランク具合がいいですね。

 

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大手門跡付近の石垣です。頑丈に作られています。

 

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中津城内には、神社が3柱ありました。

中津神社(1枚目)と城井神社(2枚目)、扇城神社(3枚目)です。

城井神社は、大河ドラマのエピソードにもありましたが、中津城で謀殺された、

城井(宇都宮)鎮房を、扇城神社は、その際討死した城井家家臣45柱を

お祀りしてあります。

  

前回行った合元寺とあわせて。

 

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赤壁」と書かれているように、赤い壁が特徴的なお寺です。

城井(宇都宮)鎮房を謀殺した時に、家臣団の詰所だった合元寺も同じく

殺戮の現場となりましたが、その後、その時の返り血をいくら塗りなおしても

消えないので、壁ごと赤く塗ってしまった。という言い伝えがあります。

 

そういう時代だっとは言え…。

なんともやるせないですね。

 

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今回の家紋瓦は「軍配団扇」(奥平家)です。

 

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スタンプはこちら。

長篠合戦の際の鳥居強右衛門がなんとも。。。

奥平家は長篠合戦から家運が開けた。として、大切にしています。

 

次は、小倉城に行きます。

別府温泉

8月29日は、別府に渡り、別府温泉に行ってきました。

公衆浴場は街中いたるところにありますが、今回は前回も行った、

「竹瓦温泉」にいくことにします。

 

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こちらは、駅前の通りにある、駅前高等温泉。高等温泉って、なんですかね??

 

 

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駅前通りを突き当たると、国道10号線に。東九州の大動脈です。

ほほう。このへんは門司から127kmか…。

実は、この時点で道に迷ってました。。。

 

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やっと入り口が見つかった💦

前はここからは来なかったな。。

 

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昭和の風情が漂ってますね。

別府は温泉もあり、観光客目当ての歓楽街でもあり…。なので

裏通りに入るとこういう雰囲気なところが増えてきます。

男のパラダイス!!!!もありますよ(自主規制)

 

さて、到着です。

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どこかで見たことありませんか?

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そう、両方とも「千と千尋の神隠し」の油屋のモデルになっています。

唐破風(軒唐破風)が特徴的な建物です。

 

この竹瓦温泉。入浴するだけならなんと、100円です。(タオル等は別途)

その代わり、体を洗う水道設備はないので、本当に湯に入るだけになります。

 

別府温泉は、別名「浴びる化粧水」というくらいなので、

お肌ツルツルになります。道後温泉と比べると、柔らかな湯あたりです。

道後の方は、滋養強壮にいい!という感じもしますね。

 

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帰りに入り口の脇の小さな祠を見つけました。

お湯の神様をお祀りしているのかなぁ。

 

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別府駅前には、「手湯」もありました。

 

 

船旅(八幡浜→別府)

今回の九州上陸は、船を選びました。

高校の修学旅行の時に、逆ルートで四国に上陸したので、久々にそのルートを

辿ってみることにしました。30年くらい前の事ですが…。

 

四国の玄関口、八幡浜港

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なんっっっの記憶もない…。

ここで船を降りたはずなんだけどなぁ。。

 

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八幡浜駅の「のりかえ 別府連絡」の文字には見覚えがある。。

九州方面への玄関口として機能しているんですね。

 

久々に大きな船に乗るので、テンションが上がりました。

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と思ったら、これは先発の臼杵行きの船でした。

 

別府行きはこちら。

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二等船室はこんな感じ。6畳くらいのカーペット敷きのスペースです。

お客さんが少なかったので、1人占めしてました。運賃は3,100円です。

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別府まで3時間弱。。。

そのうち、1時間半くらい寝てました。

 

ひょっこり起きだして、海を撮影。

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海は青く穏やかでキレイでした。

 

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対岸に九州が見えてきました。まもなく到着です。

 

 

四国鉄道あれこれ

さて、九州に渡る前に、四国の鉄道あれこれをご紹介しておきましょう。

あれこれ。といいつつ、あまり撮影する元気がなく…。ではありました。

 

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高松駅の駅舎。全体的に笑顔です。

 

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いしづち(松山行き)

 

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快速サンポート南風リレー号

これに乗って、丸亀まで移動しました。お手洗いは、ありません!

 

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松山市駅で、元京王井の頭線3000系後期型。

東京で仕事していた身としては、とても懐かしい。

ちなみに、いよてつは市内線(路面電車)は

一律160円(乗ってから降りるまで。乗り換えの時は乗換券をもらいましょう。)

ですが、郊外線(普通の電車)は結構高いです。

 

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松山駅での特急宇和海。これで伊予大洲駅まで行きました。

四国内は、高松ー松山間(あとは多度津ー琴平間)は電車。

そこから先はディーゼル気動車)です。

ちなみに、日本国内で、路面電車も含めて電車が走ったことがないただ1つの県。

それは徳島県だそうです。

 

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伊予大洲駅の行き違いで見かけました。なんだろ、これ?

 

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伊予大洲から八幡浜までの普通列車でした。

 

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八幡浜駅。なんだか昭和な雰囲気ですね。

この先、鉄道は宇和島まで行っています。(現在復旧作業中です)

 

ちなみに、四国ではメジャーな交通系ICカードはほとんど使えません。

松山駅ですらNG)

いよてつで使えるのとか、とさでんで使えるのとか、ローカルな交通系ICカード

は独自にあります。

小銭の持ち歩きは必須です。

 

 

 

大洲城(日本百名城第82番)

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大洲城 平山城藤堂高虎によって近代城郭に整備された。

    藩主家は加藤氏(光泰系・大洲藩6万石)

 

8月29日は、松山のホテルを引き払い、まずは大洲城へ出発します。

松山から最寄り駅伊予大洲駅までは、特急で30分くらいです。

ただ、伊予大洲駅にコインロッカー等の設備がありません。

大きな荷物があるときは注意してください。

駅から徒歩30分くらいかかります。徒歩以外では今はタクシーだけのようです。

今回はすでに真夏日でしたので、行き帰りともタクシーを利用しました。

 

天守と台所櫓

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こちらは天守と高欄櫓、石落としがあります。

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石落としを下から見上げてみます。

 

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石垣は比較的小さな石を積み上げているようです。

また、上部へ向けての湾曲もわかります。

 

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華頭窓から外を眺めます。

 

 

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外には天然の堀として、肱川が流れています。

この川が先日の西日本豪雨で氾濫しました。

タクシーの運転手さんが、「自分の家は床上1m20cmまで水が来ちゃいました~」

って笑って話をしてましたが、笑いごとじゃぁないです。。。

 

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ちょうど開いてました。

 

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江戸期の想定城郭の模型だそうです。結構大きな縄張りです。

 

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石垣と青空。いい天気でした。

 

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天守全景をとらえてみました。

 

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石垣に草花が。意外と好きな光景です。

 

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帰り際の「桝形」バス停(とはいえバスはたまにしか来ない。。。)

桝形。という地名なので、案の定クランクでした。

 

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家紋瓦は「蛇の目」紋でした。

 

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スタンプはこんな感じ。

 

この後、フェリーで海を渡って九州上陸です。

路面電車あれこれ

今回はちょっと趣向を変えて。

四国では、松山と高知に路面電車が残っています。

東京では都電でほんの少ししか残らなくなった、路面電車を少しご紹介します。

 

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松山市内のいよてつ市内線。

新旧様々なタイプがあります。3枚目のツートンカラーは昔ながらの塗色です。

 

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こちらは高知の路面電車。新旧様々なのが走っています。

 

松山と高知だと高知の方がより路面電車っぽい雰囲気です。

停留所間が短いからかな??

 

旧型の車両はこんな感じの車内

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木の床! 油がひいてあるので、独特のにおいがします。

 

こちらは、大手町駅(停留所)近所の踏切です。

よく見ると…。

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おわかりになりましたでしょうか?

ここは、電車(路面電車)が電車(普通の電車)を待っている踏切です。

ダイヤモンドクロスという日本でも珍しい踏切です。

 

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大手町停留所…。

幅がこれだけでした。結構スリリング。。。

 

 

道後温泉本館(重要文化財)

8月28日の夜です。

さてさて、ここまでの旅の疲れを癒しに道後温泉本館

なんせ、カメラとレンズ2本を担いで歩き回っていたので、

肩こりが結構ひどくなってきました。

 

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この道後温泉本館の建物の2階・3階部分は、来年1月以降、足掛け7年をかけて

順次改装・閉鎖されるそうですので、ぜひ、今のうちに。

今回は、せっかくなので霊の湯3階個室へ!(とはいえ1,550円です)

 

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部屋の中・外はこんな感じです。(6畳くらいの広さだったかな?)

ここで浴衣に着替えて入浴します。3階にある霊の湯と2階にある神の湯の両方に

入浴することができます。

 

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湯上がりに坊ちゃん団子とお茶が出てきます。

 

その後、皇族専用の浴室などがある又新殿(ゆうしんでん)も見学できます。

こちらは写真撮影不可です。同じく、来年1月から工事に入るので見るのも

今のうちですね。

 

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出るころにはすっかり日が暮れていました。

夜の方が風情がでていいですね。

 

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夕食は宇和島風鯛めしと地ビールです。

おいしかった。

 

松山城(日本百名城第81番・現存天守・重要文化財)

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松山城 平山城現存十二天守の一つ・築城着手時は加藤嘉明

    主な藩主家は久松松平氏松山藩15万石・譜代のち親藩(御家門))

 

とりあえず、一言で言ってしまえば、防御力半端ない。です。

 

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まず、大街道交差点から徒歩5分位のところにある、ロープウェー乗り場から。。

こちらはロープウェー(10分に1本)かリフト(常時運行)を選べます。

行きはリフトを選びますが……。暑かった。。

ご覧になってもわかる通り、お城は山の上にあります。

 

ロープウェーを降りると、登山口があり、そこから本丸をめざしますが…。

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石垣の一つ一つが高い壁のようです。

 

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こちらは門の跡の石垣です。大きな石がふんだんに使われているのがわかります。

 

さて、真っすぐいくと、このような光景に出くわします。

直線方向が天守です。

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一見、真っすぐが近道に見えますが、真っすぐは当時も行き止まり

(ここに門があったようです。)従って、右にいきますが…。

 

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右に行くと、このような門「戸無門」があり、こちらに敵方が殺到すると…

 

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このような隠門と隠門続櫓があり、櫓から総攻撃を食らうようになっています。

 

ここを突破しても、似たような構造の太鼓門が

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なかなかしつこい防御です。。

 

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やっとこさ、本丸・天守に到着です。

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まぁ、石落としや狭間は当然ありますね。。

 

本丸内の配置図です。

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中の天守台の石垣はとても立派です。

 

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ご丁寧に弓狭間・鉄砲狭間が交互に並んでいます。

 

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天守閣にも石落とし、狭間が。

こちらは連立式天守の一角をなす、北隅櫓を見たものです。

 

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松山市内を一望できます。

 

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帰りに見かけた、松山城のキャラクター。「よしあきくん」です。

 

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スタンプはこちら。

 

翌日は松山のホテルを引き払い大洲城へ向かいますが、

その前に折角ですので道後温泉でひとっぷろ。とします。

高知城(日本百名城第84番・現存天守・重要文化財)

 

8月28日

松山から高知に高速バスで向かいます。

高知県には、今回の旅で初めて行きます。

また、これで日本全国47都道府県踏破!となりました。

 

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高知城 平山城現存十二天守の一つ・本丸御殿が現存するのは川越城高知城のみ

    天守と本丸御殿の両方が現存するのは高知城のみだそうです。

    藩主家は山内氏(土佐藩20万2600石)

昔は山内一豊は「やまのうちかずとよ」と読んでいましたが、

最近では「やまうちかつとよ」と読むらしいです。

 

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石垣の中に、排水用の「石樋」が配備されていしました。

これは珍しい。。

 

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石垣たち。一般的な雰囲気ではあります。

 

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途中に千代(山内一豊の奥さん)の像がありました。

大河ドラマにもなりましたね。

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徒歩10分ほどで天守に到着です。

 

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手前の低い建物が、本丸御殿(現存)です。

 

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飛行機雲と石垣

 

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追手門(大手門)、現存です。天守と追手門(大手門)が両方とも現存しているのは、

弘前、丸亀、高知の3カ所だそうです。偶然とはいえ、このうちの2か所を同時に

回れました。

 

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家紋瓦は、城内の宝物蔵にありました。丸に三つ柏(山内柏)紋です。

 

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スタンプはこちら。

 

次は松山城へ向かいます。