大洲城(日本百名城第82番)
藩主家は加藤氏(光泰系・大洲藩6万石)
8月29日は、松山のホテルを引き払い、まずは大洲城へ出発します。
松山から最寄り駅伊予大洲駅までは、特急で30分くらいです。
ただ、伊予大洲駅にコインロッカー等の設備がありません。
大きな荷物があるときは注意してください。
駅から徒歩30分くらいかかります。徒歩以外では今はタクシーだけのようです。
今回はすでに真夏日でしたので、行き帰りともタクシーを利用しました。
天守と台所櫓
こちらは天守と高欄櫓、石落としがあります。
石落としを下から見上げてみます。
石垣は比較的小さな石を積み上げているようです。
また、上部へ向けての湾曲もわかります。
華頭窓から外を眺めます。
外には天然の堀として、肱川が流れています。
この川が先日の西日本豪雨で氾濫しました。
タクシーの運転手さんが、「自分の家は床上1m20cmまで水が来ちゃいました~」
って笑って話をしてましたが、笑いごとじゃぁないです。。。
ちょうど開いてました。
江戸期の想定城郭の模型だそうです。結構大きな縄張りです。
石垣と青空。いい天気でした。
天守全景をとらえてみました。
石垣に草花が。意外と好きな光景です。
帰り際の「桝形」バス停(とはいえバスはたまにしか来ない。。。)
桝形。という地名なので、案の定クランクでした。
家紋瓦は「蛇の目」紋でした。
スタンプはこんな感じ。
この後、フェリーで海を渡って九州上陸です。
路面電車あれこれ
今回はちょっと趣向を変えて。
四国では、松山と高知に路面電車が残っています。
東京では都電でほんの少ししか残らなくなった、路面電車を少しご紹介します。
松山市内のいよてつ市内線。
新旧様々なタイプがあります。3枚目のツートンカラーは昔ながらの塗色です。
こちらは高知の路面電車。新旧様々なのが走っています。
松山と高知だと高知の方がより路面電車っぽい雰囲気です。
停留所間が短いからかな??
旧型の車両はこんな感じの車内
木の床! 油がひいてあるので、独特のにおいがします。
こちらは、大手町駅(停留所)近所の踏切です。
よく見ると…。
おわかりになりましたでしょうか?
ここは、電車(路面電車)が電車(普通の電車)を待っている踏切です。
ダイヤモンドクロスという日本でも珍しい踏切です。
大手町停留所…。
幅がこれだけでした。結構スリリング。。。
道後温泉本館(重要文化財)
8月28日の夜です。
さてさて、ここまでの旅の疲れを癒しに道後温泉本館へ
なんせ、カメラとレンズ2本を担いで歩き回っていたので、
肩こりが結構ひどくなってきました。
この道後温泉本館の建物の2階・3階部分は、来年1月以降、足掛け7年をかけて
順次改装・閉鎖されるそうですので、ぜひ、今のうちに。
今回は、せっかくなので霊の湯3階個室へ!(とはいえ1,550円です)
部屋の中・外はこんな感じです。(6畳くらいの広さだったかな?)
ここで浴衣に着替えて入浴します。3階にある霊の湯と2階にある神の湯の両方に
入浴することができます。
湯上がりに坊ちゃん団子とお茶が出てきます。
その後、皇族専用の浴室などがある又新殿(ゆうしんでん)も見学できます。
こちらは写真撮影不可です。同じく、来年1月から工事に入るので見るのも
今のうちですね。
出るころにはすっかり日が暮れていました。
夜の方が風情がでていいですね。
おいしかった。
松山城(日本百名城第81番・現存天守・重要文化財)
主な藩主家は久松松平氏(松山藩15万石・譜代のち親藩(御家門))
とりあえず、一言で言ってしまえば、防御力半端ない。です。
まず、大街道交差点から徒歩5分位のところにある、ロープウェー乗り場から。。
こちらはロープウェー(10分に1本)かリフト(常時運行)を選べます。
行きはリフトを選びますが……。暑かった。。
ご覧になってもわかる通り、お城は山の上にあります。
ロープウェーを降りると、登山口があり、そこから本丸をめざしますが…。
石垣の一つ一つが高い壁のようです。
こちらは門の跡の石垣です。大きな石がふんだんに使われているのがわかります。
さて、真っすぐいくと、このような光景に出くわします。
直線方向が天守です。
一見、真っすぐが近道に見えますが、真っすぐは当時も行き止まり
(ここに門があったようです。)従って、右にいきますが…。
右に行くと、このような門「戸無門」があり、こちらに敵方が殺到すると…
このような隠門と隠門続櫓があり、櫓から総攻撃を食らうようになっています。
ここを突破しても、似たような構造の太鼓門が
なかなかしつこい防御です。。
やっとこさ、本丸・天守に到着です。
まぁ、石落としや狭間は当然ありますね。。
本丸内の配置図です。
中の天守台の石垣はとても立派です。
ご丁寧に弓狭間・鉄砲狭間が交互に並んでいます。
天守閣にも石落とし、狭間が。
こちらは連立式天守の一角をなす、北隅櫓を見たものです。
松山市内を一望できます。
帰りに見かけた、松山城のキャラクター。「よしあきくん」です。
スタンプはこちら。
翌日は松山のホテルを引き払い大洲城へ向かいますが、
その前に折角ですので道後温泉でひとっぷろ。とします。
高知城(日本百名城第84番・現存天守・重要文化財)
8月28日
松山から高知に高速バスで向かいます。
高知県には、今回の旅で初めて行きます。
また、これで日本全国47都道府県踏破!となりました。
高知城 平山城・現存十二天守の一つ・本丸御殿が現存するのは川越城と高知城のみ
藩主家は山内氏(土佐藩20万2600石)
昔は山内一豊は「やまのうちかずとよ」と読んでいましたが、
最近では「やまうちかつとよ」と読むらしいです。
石垣の中に、排水用の「石樋」が配備されていしました。
これは珍しい。。
石垣たち。一般的な雰囲気ではあります。
途中に千代(山内一豊の奥さん)の像がありました。
大河ドラマにもなりましたね。
徒歩10分ほどで天守に到着です。
手前の低い建物が、本丸御殿(現存)です。
飛行機雲と石垣
追手門(大手門)、現存です。天守と追手門(大手門)が両方とも現存しているのは、
弘前、丸亀、高知の3カ所だそうです。偶然とはいえ、このうちの2か所を同時に
回れました。
家紋瓦は、城内の宝物蔵にありました。丸に三つ柏(山内柏)紋です。
スタンプはこちら。
次は松山城へ向かいます。
湯築城(日本百名城 第80番)
さて、今治城を後にして、8月27日・28日の宿となる松山へ向かいます。
今治から松山は特急でおよそ30分強です。
JR松山駅に到着後、時間があったので、ホテルに向かう前に、
湯築城へは、市内電車道後温泉行に乗り、道後公園(終点の1つ手前)で下車します。
平山城、1300年代中盤に伊予守護河野氏によって築城される。
河野氏代々の本拠となったが、豊臣秀吉の四国征伐による、河野氏滅亡後、
1587年に廃城となった。
湯築城跡は中世城郭の体裁を色濃く残しています。
内堀と内堀土塁です。まだ、築城年代的には石垣等は設けられていません。
土塀と武家屋敷の門構えが再現されていました。
内堀に囲まれた丘陵部に武家屋敷などの諸施設があったようです。
こじんまりとしているので、比較的短い時間で回ることができます。
スタンプはこちら。
翌日から、高知・松山などを巡ります。
今治城(日本百名城 第79番)
8月27日、続いて今治城へ
丸亀から特急で1時間半弱、今治駅からバスで10分くらいで到着します。
平城・日本三大水城の一つ
元々は関ヶ原後に藤堂高虎が加増され、城地を定めたところなので、
もともとは相当大きかったようです。(今治港くらいまではあったとか)
お堀から見た感じ。
黒鉄門(くろがねもん・再現)です。実際ににこうだったとしたら、
相当威圧感のある門になりそうです。
再現された多聞櫓です。
石垣には、大きな石と小さな石がきめ細かく敷かれています。
高虎流らしい作りこみです。
城内には吹揚神社があります。今治城は別名「吹揚城」とも呼ばれています。
ちょうど、防波堤から内側の水路となっているところが、
元今治城の外堀だったようです。
なぜか、家紋瓦を撮るのを忘れました…。
今治城のスタンプはこちら。
バリィさんがついてる。。。
この後は松山に移動して、先に湯築城をみてきます。
丸亀城(日本百名城第78番・現存天守・重要文化財)
快速で30分くらいで到着します。
丸亀城 平山城・現存十二天守の一つ・主な藩主家は京極氏(丸亀藩6万石)
ご覧の通り、石垣の城。
築城時は生駒氏が入封しており高松とともに讃岐の押さえの城として、
壮大な城域を持つ城ができたようです。
端的に言ってしまえば6万石の分限の城ではありません。
丸亀駅からはこんな感じに見えます(300mm望遠でとらえてみる)
遠いですねぇ。。でも、見えるところがすごい。
駅から20分くらい歩いていくと、
大手二の門に到着です。こちらも国の重要文化財。
正面にこんな石垣が。
ハートの石垣。うむ。三角形では?
気を取り直して、大手一の門(これまた重要文化財)に入ります。
大手門だけあって、立派な石垣です。
門の全容を撮影しておくべきでしたが、立派な門ですね。
一の門の内部も見れます。時を告げる太鼓(現役)がありした。
門を入っていくと、さっそくこんな坂が。
このつづら折りを3回くらい繰り返すと、天守まで到着です。
真夏には結構しんどいぞ…。
途中の石垣たち。きれいに積まれています。
上に行くにつれて、勾配がついているのがわかると思います。
そうこうしているうちに本丸(天守閣)に到着です。
讃岐富士と瀬戸大橋も見ることができます。
讃岐富士…。なんて名前だっけ?
天守の中です。私は、この明と暗のコントラストが好きなようです。
帰りは西側が先日の西日本豪雨で通行できなかったので、東側の二の丸方面で
行き止まりとなりました。
二の丸側からの石垣。高さと、上部の勾配がわかると思います。
玄関先御門(重要文化財)の裏側から
時代が下ると、藩主御殿の入り口となっていました。
なぞのゆるキャラたち。。骨付じゅうじゅう。って。。。
丸亀城の瓦は京極氏の四つ目結でした。
スタンプはこちらです。
独自スタンプが異様にでかかった。。
次は今治城へ向かいます。
高松城(日本百名城 第77番)
今回から、簡単なデータをつけることにします。
平城・日本三大水城の一つ
水戸黄門をご覧になったことのある方はご存知のエピソードかもしれませんが、
御三家の1つ、水戸徳川家の2代目藩主徳川光圀(黄門様)が家督を継ぐ際に、
実の兄の頼重を差し置いて家督を継いだのを遺憾に思い、光圀の子と兄頼重の子を
交換して各々の家督を継がせたそうです。
(光圀の子が高松藩主松平頼常となり、頼重の子が水戸藩主徳川綱條となった。)
そういういきさつもあり、瀬戸内海の四国の玄関口でもある高松城は、御三家連枝の
城にふさわしい城地となっています。
さて、簡単にお城の写真を。
高松駅側から行くと、ちょうど二の丸への入り口「鉄門(くろがねもん)」跡の石垣が
あります。大きな門だったのでしょう、立派な石垣が見て取れます。
(このくろがねもん=「鉄門」だったり「黒鉄門」と書く、は比較的多くの
城で見られます。防御上最重要となる門を鉄製の扉とした門であることが多いです。)
月見櫓・水手御門・渡櫓(現存)です。
旭門跡。こちらは枡形虎口(ますがたこぐち)となっているので、
見事なクランクです。
艮櫓(うしとらやぐら)現存です。
お堀は海水が引かれていて、鯛が泳いでいます。
鯛の餌やりガチャガチャがありました。
試しにやってみると…。
ま、こうなりますわね。。。
これが後々…。どハマりしはじめる要因になってくるとは。。
100名城スタンプとお城独自のスタンプはこちらです。
次は丸亀城へと行きます!
四国・九州旅行 プロローグ
さてさて。
ちょっと遅い夏休みを利用して、8月26日夜から、8月30日まで
四国・九州を旅行していました。
総移動距離(東京から・東京への移動を除く)855.5km
歩いた距離(推定)25.5km
まぁ、なかなかと言えばなかなかですね。
旅行中、ちょこちょこインスタの方には写真をアップしていましたが、
ブログでは文章も使いながらまとめていきたいと思います。
まずは、プロローグ編で、8月26日出発のサンライズ瀬戸の模様から。
4年ぶり3回目の乗車です。
東京駅に入線。相変わらずファッショナブルです。
この方向幕が旅情を誘います。
今回はシングル(B寝台)でしたので、部屋の中はこんな感じです。
大人1人が横になれて、荷物を足元に置けるくらいのスペースでしょうか?
体の大きい人には狭く感じるかもしれません。
B寝台ではシャワーカードはついていないので、乗車後すぐに買っておきましょう
たしか20枚で売り切れと聞いていますので、すぐになくなってしまいます。
シャワーは1か所ずつ(瀬戸編成に1か所・出雲編成に1か所、1枚で6分間温水がでます。)ですので、時間帯を見計らって行くといいと思います。
私は、姫路駅手前(5時30分頃?)に行きましたが、空いていました。
まいどおなじみ瀬戸大橋からの風景です。
まぁ、このころには確実に目が覚めています。
高松着7:32。行動を開始するには、十分な時間です。
決勝戦
今日は、夏の甲子園
⚾金足農vs大阪桐蔭
でした。
結果は、大阪桐蔭が勝つとしたらこういう展開だろうな。というところでした。
新聞とかだと、「9人だけでよく頑張った。」という論調でしたが、
果たしてそうでしょうか?
甲子園のベンチには18人入れます。
あとの9人は何のためにいたのですか?
戦力として期待できなかったのですか?
戦力として期待してないなら、エースが潰れればそれで終わり。
だとしたら、勝てる訳はないですよね。
これは監督を含めたチーム作りの問題が大きいですが。
よく頑張ったね。よくやったね。
確かにそうは思います。
でも、よく頑張ったね。よくやったね。
これは高校野球まで。
どれだけのメンバーがこの先野球を続けるかはわからないけど、
これからは、それでは済まされないです。
準優勝は敗者。
そう言われることになるのです。